通州事件(2)

通州事件は、1937年7月29日に、日本人一般市民が支那兵に虐殺された事件である。ネットで、その猟奇的な屍体の写真を見た時はゾッとしたものだが、どこかで見た写真だと感じた。理由はすぐに分かった。通州事件の屍体写真は、中国側には、南京大虐殺の証拠写真として扱われていたのだ。

我が家は共産党一家で、共産党関係の書物が沢山あったので、その中で通州事件の写真を見たのであろう。ただ、日本共産党がそのようなバレたら大変な事になる捏造をするとは考えられず、おそらく一緒にあった左翼の人間が書いた書物にあったものだと思う。

この事件の「発見」は、多くの日本人にとって右傾化のきっかけになるのではないだろうか。第1に事件の異様さから、支那事変に対する認識が変化する。次に、日本人が被害者となっている写真を南京大虐殺の証拠として採用している中国人の卑劣さに憎悪が生じる。そして第3に、中国側に同調する左翼の姿勢に嫌悪するようになる。最後に、このような重要な歴史を教えない日本の歴史教育に疑問を持つようになる。

最後の点については、残念ながら、教育界から左翼が一掃されたとしても通州事件が教科書に載る事はないだろう。あまりにも猟奇的・残虐で、子供の教育上問題があるからだ。一方で中国では、通州事件の写真を日本軍による中国人への虐殺として子供にも反日意識を植えつける事は続くだろう。

通州事件(1)

左翼はよく「歴史を学べ」と主張するが、歴史上の重要な事件が隠蔽されているとしたら、一般の人は正しい学習が出来るだろうか?

通州事件は支那事変の帰趨に大きな影響を与えた重要な歴史的事件であるが、教科書には記述がなく、メディアで紹介される事もない。このため、普通に勉強していたのでは知る機会のない事件であり、個人のブログやホームページに細々と記述されている程度である。

通州事件は1937年7月29日、北京郊外の通州の日本人居留地において、中国兵が日本人と朝鮮人の一般市民約200名を惨殺した事件である。その殺害方法は極めて残虐で、妊婦を含む女性や乳幼児までもが、猟奇的な形で中国兵に虐殺された。

この虐殺事件については、内容があまりにも凄惨なので詳細は私のブログには書きたくない。当時、この事件が日本国内に与えた衝撃は相当なものであったろう。反支那感情は悪化し、その後の戦線拡大における国内世論形成に大きな影響を与えた事件であった。

この事件は、今日ネット上で「再発見」されるようになり、日本の右傾化に影響を与えている。私も通州事件については知らなかったが、初めてこの事件について知った時には強い衝撃を受けたものだ。

ただ、奇妙な既視感を感じていた。虐殺された屍体の写真に何か見覚えがあったのだ。子供の頃、実は通州事件については本か何かで学んだが、記憶には残らず、大人になって初めて知ったかのように感じているだけだったのだろうか。

天皇と護憲

子供の頃に身についた信念というものは、その人の人格の一部となり、容易に否定できるものではない。私の場合、それは天皇観である。すっかり右翼となってしまった今でも、天皇に「陛下」をつけたり、皇室に殿下やら妃などの用語には違和感を感じる。例えば友人同士の何げない会話の中で、人が皇室を尊重するような話を始めると本能的に話題を変えようとしてしまう。

理由はもちろん、共産党一家に育ったからだ。赤旗を読み、共産党の書籍に目を通し、共産党員の親の話を聞いていたため、天皇と言えば、昭和天皇の戦争責任や明治憲法下の封建制度、そして共産党弾圧などの人権侵害を連想するようになってしまったのだ。もちろん、共産主義の観点からは天皇制は平等の精神に反するものであり、そもそも否定すべきものだった。

当時、私は平和憲法を守れという共産党の主張は正しいと思っていたが、天皇制については憲法改正すべきだと感じていた。反天皇制なのに護憲というのは共産党の矛盾だとは気がついていたが、日本人の大半が天皇を支持している状況では、ある程度妥協も必要なのだろうと納得していた。

靖国神社に参拝するようになった今でも、その対象は祖国のために闘った人々であり、天皇ではない。共産党シンパから反共に転じた私ですらそうなのだ。日本共産党が象徴の形であれ、天皇を肯定する事はあり得ない。

象徴天皇も支持し、憲法9条も支持する本当の意味での護憲派はむしろ自民党の中にいるのではないだろうか。すくなくとも、日本共産党が本心から天皇について定めている現憲法を死守しようと考えているのではない事は確かである。