住民登録は結局のところ徴兵制には利用されなかった

住民登録法は、現在の住民基本台帳法(1967年)の前身となる法律で、1952年に施行された。連合軍による占領下の時代から準備されていた法律であるが、日本共産党は、この法律は住民の登録が徴兵制に利用されるもので、戦争動員のための準備法であると主張していた。例えば、以下のような反対意見である。

本法案は明らかに徴兵、徴用の法律である。こういうことを言わなければならない。もつと悪い言葉で言つて恐縮ですが、これは戦争動員の準備法であり、肉弾製造法であると言えると思うのであります。

今日、市町村長には住民票の作成が義務づけられているが、住民基本台帳が徴兵制導入のための準備である、などと主張するバカはいない。住民登録が開始されて60年以上を経過しているが、この制度によって徴兵制が導入される事など、一度もなかった。

共産党が住民登録に反対した本音は不明だ。表向きは徴兵制反対が理由なのだが、あまりにも突飛すぎて本当の理由とは考えにくい。当時共産党は在日朝鮮人社会と一体と言って良い動きをしていたので、住民登録により密入国者や朝鮮人犯罪者が不利になる事を恐れていたのだろう。

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その後、各省庁バラバラの個人ID情報を共通化しようとする共通番号制度が検討され佐藤内閣の時代に導入されようとしたが、国民総背番号制という名前がつけられ、実現はされなかった。左翼はその時でも徴兵制につながると主張していた。

最近になってマイナンバー制度の法制度整備が進んだが、徴兵制が特に取り上げられる事はなかった。さすがの左翼も徴兵制につながるという論理のバカバカしさでは反対意見に理解を得られないと思ったのであろう。

そもそも、住民登録法やその後の住民基本台帳制度が徴兵制を意図しているものではない事は自明の事である。60年以上前に徴兵制だの戦争動員だの大騒ぎした制度であるが、結局のところ徴兵制が導入される事はなかった。ただ、それらの制度は国内で外国人、特に在日朝鮮人・韓国人や中国人が日本人になりすまして工作活動を行なう際にはある程度支障となる事は確かだ。

一方、今年になって集団的自衛権の行使容認に関する議論の際には徴兵制導入の不安を煽る事に左翼は成功した。徴兵制導入というキーワードの威力を知った左翼は、今後とも地下活動に不利となるような法律・制度に対しては徴兵制を利用する事になるだろう。

朝日新聞 昭和27年社説 『在日朝鮮人をめぐる諸問題』

前回の東京新聞の昭和27年5月17日社説に続き、朝日新聞の昭和27年7月17日社説を引用する。コメントは後日。

治安閣僚懇談会では、最近大都市に続発する騒乱事件と、これに深い関連をもっている一部在日朝鮮人の問題を討議したといわれるが、国警や特審局などの治安当局は、治安を乱すような朝鮮人を適当な方法で隔離すべしとの意向を持ち、強制送還に関する韓国との話合いがつくまで、日本側で強制収容所を設ける必要がある旨を、政府に対し強く要望したと伝えられる。

日本人であると朝鮮人であるとを問わず、日本国内に居住しながら治安を乱すものに対しては、法のしゅん厳なる発動をみるべきことは当然であるが、治安当局の要望している強制隔離の措置は、在日朝鮮人のうち法に触れたいわゆる「望ましからざる朝鮮人」を本国へ送還するまでの過渡的な措置を講じようとするものと思われる。このような強制措置をはたして政府が実行するかどうかは不明であるが、治安当局がかかる措置を実行せざるを得ない事態であると考えていることは、察するに難くない.

在日朝鮮人をめぐる問題は、今日多くの困難をはらんでいる。それは正直にいって、日本にとっても悩みの種である。第一には、朝鮮が南北に分れて今なお戦っており、共産軍対国連軍の戦闘は、休戦協定の妥結にすら達していないのである。北鮮系の在日朝鮮人が祖国防衛の名の元に実力行使に訴えようとする動機は、恐らくこの辺からも発してはいようが、彼らの行動が、この日本において起され、現実に日本の秩序を乱すことは、われわれにとっては言うまでもなく迷惑至極なことである。如何なる理由に出るにせよ、日本国内の秩序破壊の行動に対して断固たる措置を講ぜざるをえないのは当然のことである。

第二に、朝鮮動乱が解決せず、かつは朝鮮の統一が成らない間は、われわれはまず韓国との間に国際関係を取結ばざるをえない。昨秋以来東京で開催された日韓会談では、在日朝鮮人の国籍問題を初め、永久居住権の承認、鉱業権の存続、不法外国人の強制退去の適用、漁業条約や通商航海条約の締結などについて交渉を進めてきたが、在朝鮮の日本人財産の返済問題で壁に突当ったまま、今日では決裂状態になっている。したがって日本と韓国の間には、未だに正常な国際関係が成立するには至ってはいないのである。そこで日本側が出入国管理令に基き、密入国者を強制送還するに際して、「望ましからぬ人物」を合せて送還してみても、韓国側はこれを拒絶して受取らぬのである。日韓会談が妥結しない限りは、強制措置に関する最終的な解決には到達しなわけである。

第三に、在日朝鮮人の経済的基盤が次第に崩れようとしつつある現実である。さきに全国知事会に集った七知事の意見として、去る十一日付の本誌が伝えるところによれば、これらの知事は一様に朝鮮人問題に関する政府の対等樹立を要望しつつ左の如く語っている。「在日朝鮮人の問題についてこの人達がいま一定の職をもつことが難しい事情にあることや、帰りたいと思う故国は南北に分裂し、戦火に見舞われているという気の毒な状態に置かれていることを私達はまず考えてみなければならない。政府も府県や市町村も彼らに職を与えようという配慮をもっとすべきではないか。もっとも在日朝鮮人のなかの極左的な人達とそうでない人との区別はなかなか難しいし、さらに職を与えるにしても地方では失業者がだんだん多くなっている実績から思うように進まないことも事実である」。このように、日本国民自身が困難している中での在日朝鮮人の経済問題であるが、ともかくかかる経済的な困難が横たわっていることも明記しておかなければならない。

一衣帯水の間におかれている日鮮両国は、歴史的に極めて密接な関係にあり、余りにも密接な関係におかれているからこそ、今日のような困難な問題も生じているわけである。問題の解決は、根本的には朝鮮動乱の解決、日韓両国間の国交の回復をまたなければならないが、それまでの過渡的な時期にわたっても、われわれは、日鮮両民族の永遠の善隣友好関係を希望するが故に、極力、紛争の種をまくことを回避したいのである。一部の在日朝鮮人が、いかなる理由であれ、日本国内の法秩序を無視し、直接行動や暴力行為に訴えることは、両国人間の友好関係の持続を念願する見地からしても、憂うべく悲しむべき現象といわねばならない。それは善良なる在日朝鮮人にとっても、はなはだ迷惑に相違ない。治安当局が目論む強制隔離というような非常措置を不要なれしめるよう、一部の過激な分子の自覚と猛省とを、まず求めてやまない次第である。

「アジアのスイス」よ、さようなら 清潔すぎた日本国憲法 in 朝日新聞

日本を非武装・中立にするという馬鹿な事を本気でやろうとしたのは戦後の連合国軍であったが、冷戦勃発で間抜けな発想だったと気付き、再軍備と西側諸国との同盟という道を辿る事になった。一方でこの間抜けな発想は冷戦時代の長期化とともに、憲法9条を維持した上で非同盟諸国、いわゆる第三世界に属しようという非武装・中立論となって長い間左翼に支持される事になる。

その頃に理想として挙げられた国家がスイスであり、アルプスの少女ハイジのような平和のイメージとその中立政策が左翼から高く評価されていた。ただ、スイスは非武装ではなく徴兵制を採用する軍事国家である事が知れわたるようになり、最近ではスイスをモデルとした平和主義者は減っているようだ。

実は左翼によるスイス礼賛が馬鹿げた話であるというのは、戦後の早い段階で指摘されていた。しかも朝日新聞の記者によってである。昭和29年10月29日付の朝日新聞に守山義雄という記者が『清潔過ぎた日本憲法』と題して以下のような事を書いている。

筆者は羽田に帰りついて、ふたたび銀座の「人間のうず」をみた。そのときの感想が二つある。その一つは、銀座の人間の数だけは、アメリカのいかなる繁華街にも負けないだろうということ。もう一つは、この国は永久に「アジアのスイス」にはなれないだろうということである。外国軍の駐兵を自らすすんで希望しなければならないスイスというものはないからだ。問題はなかなかむずかしい。戦後六年・・・「東亜のスイス」だなんて、いい気になっていたのははなはだ見通しがわるかった。看板に「清潔なるお座敷あり」とうたっているのは、大方、木曽宿にきまっている。つまり、日本はあまり清潔な憲法をもちすぎたのだ。

この記事から、戦後の新憲法は、当時の国民からアジアのスイスをイメージするものとして期待されていた事が推察される。

ちなみに守山義雄の死後刊行された「守山義雄文集」の中では、同じ朝日新聞記者の足立和雄が南京での目撃談が記載されており、これが南京大虐殺の証拠を補強するものとして取り上げられる事がある。これについては、別の機会に記事にする予定だ。

みんな知っている韓国の独立門

本ブログの主旨は、普通の日本人が、どの様なネットの記事で右傾化していくのか、という分析である。そうすると、どうしても大半が既に知っている事を繰り返す事になってしまうので、ちょっと書きづらい。ただ、最終的には系統的な整理をしたいので、退屈であっても続ける事にする。

ソウル近郊の独立門が、日清戦争の結果として李氏朝鮮が清帝国からの支配から独立(1895年)した事を記念して1897年に建設された門であるという事は、すでに有名な話となっている。

そもそもソウルの独立門の由来が何であるか、という事自体は、歴史的にはそれ程重要な話ではない。これが有名になってしまうような日本の歴史教育の偏向ぶりが注目を浴びてしまうのである。

中国や日本共産党は、日清戦争ですら日本の侵略戦争であると言い張っている。だが日清戦争の戦争目的は、下関条約の条文を見れば明らかなように、朝鮮王朝の大清帝国からの独立にある。今日ではネットで氾濫しすぎている情報であるが、一応その条文を引用する。

第一條 清國ハ朝鮮國ノ完全無缼ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ清國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ

韓国はあたかも日韓合邦によって初めて独立が失なわれたかのように主張しているが、「独立門」が何を記念して建設されたかを考えれば、実は日清戦争以前の朝鮮は独立とは言えない状況であった事が分かる。

もちろん、日本が全くの善意で韓国を独立させてあげたというのは間違いだ。当時朝鮮では清の属国でいた方が良いとする勢力もあったから、彼らにしてみれば迷惑な話であった。

ただし、属国だったからといって、李氏朝鮮が清の一部であったという事ではなく、朝鮮が長く一つの国として存在していた事は確かである。

学校の歴史授業で朝鮮半島の歴史を教える時は、独立門の話題から入るのが良いのではないだろうか。

東京新聞 昭和27年5月17日 社説『朝鮮人問題をどうする』

引用のみ。コメントは後日。

独立後最初の対韓送還船山澄丸は四百十名の送還朝鮮人をのせたまま、韓国当局から上陸を拒否されて内地に引き返した。韓国側の拒否の理由は明確ではないが、出入国管理庁の推察するところでは、これら韓国人が韓国籍を正式に取得したことを法的に確認し得ないというのがその言分らしい。平和条約発行前まではこのような送還を受け入れていたのに独立を取得した後において、急に態度を一変したことについては、もちろん在日朝鮮人の国籍およびその日本における処遇に関する協定が不調に終ったことが大きな原因であるには違いないが、このほかに在鮮日本財産の請求権や漁業権の問題をからめているのではないかと考えられる。

すなわち、日本にとっては在日朝鮮人の問題は生活上、人口問題上からばかりでなく、一部の急進分子は治安の上からみて非常に危険な存在となりつつあり、これが処置は日本の内政上緊急の問題である。日本当局が困っているということを韓国側が知らぬわけはないから、この問題を利用して他の懸案を有利に展開しようという考えを韓国側が持っているのではないかとの推察さえ生れざるをえないのである。このことは昨年十月から東京で行われてきた日韓会談の席上で韓国側が、日本のポツダム宣言と同時に在日朝鮮人は韓国籍を正式に取得していると主張したのをみれば、最近の主張との矛盾が明らかになる。

はなはだ遺憾なことだが、敗戦後は「日本人ではない」と言い張って連合国の列に入らんとし、独立回復後は「日本人である」として権利を主張するようにみえる。

在日朝鮮人の数は登録されているもの約六十万人のほかに未登録密入国者を入れて七十万とも八十万ともいわれえちるが、その約三分の一は定職を持たず、職業を有しているものでもの大部分は生活困窮者で、現に生活保護法により扶助をうけているものが約六万ある。しかもなお、半島の戦火をのがれ日本に生活のよるべを求めて密入国するのが、月平均百人はあるという。

もとより日韓両国は歴史的にも地理的にもその関係が極めて深く戦前戦時を通じて朝鮮人が日本に寄与した産業上の協力は決して小さいものではない。しかし終戦と同時に一部の態度はガラリと変った。日本人にもその傾向はあったが、特にかれらは従来の生業を捨て、権利を追求し、日本人たるの法律義務から逃れていわゆるヤミ利権に走るものが多かった。次第に日本の産業経済が回復し、国民生活が常態に復すると共に、これらの多くがたちまち生活のキズナを失うことに至ったことは当然である。しかし当然であるといってこれを放置することは日本政府としてはできない。温良なる人々に対しては日本国民と変らぬ処遇を与えて来たし、これからもそうでなくてはならない。

けれども、数十万人のうちには決して温良といえない分子がいる。その数は必ずしも多くはないであろうが、いわゆる北朝鮮系の共産分子が独特の祖国防衛隊を結成して金日成将軍への忠誠、日本における事変の完遂を旗印とし、非合法日共と協同闘争を展開していることは周知の通りである。廿五年十一月の神戸事件をはじめ、各地における騒乱事件の中心に常にこの「祖防」が動いていることが探知されている。彼らにしてみれば、祖国を防衛するための愛国行為だと考えるかも知れないが、日本国民にとっては迷惑な話である。

政府は差当り密入国の現行犯、極度の貧困者、登録法違反者、暴行行為犯などのうち強制送還を要するもの約一万二千五百、生活扶助者六万を含めて約七万とし、残りのものについては申請があれば日本永住を許可し、過去の日本人としての権利、利益も認める方針のようである。もちろん朝鮮における動乱が終息しない限り根本的な解決は不可能に近いが、このまま見送っていたのでは将来抜き難い問題になることが予見される。少くとも暴力行為者に対する措置については、早急に対策を樹てるべきであり、日韓交渉もなるべく早く再開されるように要望する。