相対的貧困率から考える日本の貧困

今年8月にNHKが報道した豊かな消費生活を満喫しているパソコンも買えない少女の特集をきっかけとして日本の貧困問題に注目が集まった。片山さつき議員が議論に参加したこともあり一時盛り上がったが、現在ではやや下火である。例によって、話題に遅れてブログのテーマとする。

一連の議論でNHK擁護派から出された意見が、「相対的貧困」という概念の重要性である。日本はOECD諸国の中で、相対的貧困率の順位が全体で下から大体4番目である。国民のうち、実に6人に1人が貧困ラインより下の所得である。

貧困ラインの定義が「相対的」貧困の概念から来ることから議論噴出の原因となっている。つまり、相対的に所得が少ないだけで、絶対的な貧困ではない、という意見がある一方、相対的に人と同じ生活を送れない事は深刻な問題、とする意見などだ。

ここで、OEDCの相対的貧困の定義を見てみよう。所得を順番に並べた時に中央に来る所得を中央値として、その中央値の半分を貧困ラインとする、というものだ。定義は明確であり、その貧困ラインが日本では全然貧しくないと主張したところで、国際比較すると他の国よりも貧困ラインより下の割合が高いのは事実であり、しかも「平均」所得が日本より高い国の方が相対的貧困率が低いのである。

具体的な数値を見よう。これはとあるブログの記述から取ってきたのだが、日本では所得の中央値が250万円であり、その半分の125万円で生活している人が6人に1人である。これは驚愕の数値だ。年収125万円以下で生活する人達が、実は6分の1もいるのである。

さて、政府や社会に憤慨する前に、冷静になって考えてみよう。所得の中央値が250万円?低過ぎないか?OECDのホームページでは2012年の数値が278万3千円となっているが、本当にそれが中央値なのか?

実は、相対的貧困率の計算で採用している数値は人口あたりである。つまり子供も老人も全て含まれた数字なのである。日本の世帯あたり人数は約2.5人であるから、250万円というのは世帯あたり625万円である(後で見るようにこれは正解ではないが)。だから、「6人に1人が年収125万円以下」というのは非常に誤解を生む表現なのである。

だから何だという意見もあろう。別に日本だけ別の定義を採用している訳ではなく、日本の相対的貧困率が高いという事実に変更はない。ただ、相対的貧困率の議論で登場する数字には振り回されるべきではないという事だ。

OECDのデータを見るにあたっては、もう一つ注意しなければならない点がある。

世帯所得を人の単位に換算する場合、4人世帯で年収400万円なら、ひとりあたり100万円が4人いるとして扱うのが単純な考え方だろう。しかしOECDの定義ではそうなっていない。このケースでは4の平方根の2で割って、一人あたり200万円が4人いる、と見なすのである。

独り暮しより夫婦で生活した方が効率が良いように、家族の数が増えれば、一人あたりに必要な出費は減少する。一台の家電製品で多くの人にサービスできるし、携帯電話の家族割りなどの便益を得られる。OECDではその事を考慮して、人数が多くなる程一人あたりの所得を計算する際の人数を減らしているのだ。複雑な計算ではなく、単純に世帯人数を平方根で割った値を利用している。

これは、日本の貧困問題を考える上で重要な考え方ではないだろうか。年収100万円の単身世帯が2世帯ある場合、一人あたりの所得は100万円だ。しかし、同じ年収の単身世帯の男女が結婚した場合、一人あたりの所得は100万円ではなく、100×2÷1.41=141万円と見なされる。子供が1人生まれた場合は100×2÷1.73=115万円、2人生まれると一人あたり100万円と計算される。

つまり、独身男女2名が別々に生活する場合と、結婚して子供が2人いる場合とで、OECDの計算上では一人あたりの所得は同じと計算されるのである。もちろん、結婚する男女の間で所得格差があれば、一方の側はむしろ一人あたり所得が低下する事になる。

これは高齢者の単身世帯も同様であり、子供世帯と同居した方が、別居しているよりも高齢者にとっての一人あたりの所得は高くなるのである。もちろん、現役で稼いでいる子供世帯にとっての一人あたり所得は低下するが、全体としての所得水準は向上する事になる。

所得が低いから結婚相手が見つからず非婚化が進んでいる、というのは一面でしかない。男女とも一人で生きていけるなら、二人ならもっと生活が楽になるはずなのだ。貧しいから結婚できないのではなく、結婚しないから貧しくなるのである。

多様な生き方という美名のもとで独身者が特殊ではなくなり、男女は結婚して当たり前という風潮が時代遅れとされ、独身世帯が増加を続けている事が日本の貧困を生み出しているのである。三世代が同居するような家族像が崩壊し、核家族化が進行し続けている事もそうである。

個人の自由というプロパガンダが、家族を分解させ、男女を分離させ、そして日本の伝統を崩してきた。そして、それが今日の日本の貧困問題を深刻化させる要因となっている。

貧困問題は生活保護などの社会保障や福祉、経済成長ばかりに着目しては解決しない。結婚して子供を育て、老いた親の面倒を見るという、家族のあり方というものも考慮する必要があるのである。

なお、独身男女が皆結婚すれば相対的貧困率が低下するかどうかは計算してみないと分からない。所得の低い男女同士が結婚すれば低下するが、所得の中央値よりもわずかに低い程度の男女が同一世帯となれば、中央値が増加してしまう分、相対的貧困率は増加してしまう。

中共が画策する多正面作戦に日本は対応できるのか

今年(2016年)の9月、インドは二つの敵に直面した。ひとつは9月上旬に中国軍がいつの間にか北東部アルナチャルプラデシュ州に進入し、数日間滞在した事態であり、もう一つは9月18日にカシミール地方のウリにあるインド軍施設がテロリストの攻撃を受け、17人のインド兵が死亡した事件だ。前者はインド・中共間の協議で中国軍が撤退したが、後者の事件ではパキスタンとインドの間で緊張が高まり、9月29日にはカシミールの実効支配線付近で銃撃戦が発生、パキスタン兵2名が死亡した。

東部における中国軍の進入と西部におけるテロは発生時期が異なり、相互に連動しているとは言えない。また、後者のテロもパキスタンとの関連性は不明だ。しかし中国とインド、そしてパキスタンの関係を考慮すると、同じ9月に発生した二つの事件の背後に、中共の陰謀があるのではないかと疑いたくなってくる。

日本との関係が良好とされているインドのモディ政権であるが、中国に対しては協調路線を採っており、対立姿勢を極力避けている。パキスタンとの間も同様であり、モディ首相は昨年12月にパキスタンを訪問し、シャリフ首相と会談した。一方、インドはミサイル開発や宇宙開発を着々と進行させており、今年9月26日にはフランス政府との間で32機のラファエル戦闘機購入の契約を結んだ。戦闘機はパキスタンにとり脅威だが、ミサイル開発は中国にとって脅威となる。

インドとパキスタンの間の紛争は中国の利益になるが、仮に中国が背後で両国の分断を策動していたとしてもインドは適切に対応するだろう。

インドが変幻自在な内政外交を実現できるのは様々なオプションを手にしているからであり、軍事力はその根幹である。インドは多くの民族を抱える民主主義国家であり、国内政治には不安定のリスクもあるが国益を第一とする点では国がまとまっている。

一方で日本は憲法9条の制約があって外交のオプションが限定されており、他国の謀略には非常に脆弱だ。それでも現在平和が保たれているのは日米安保のおかげであり、アメリカがアジアから撤退ともなれば中国の脅威に晒される事になる。

中共の工作として分かり易いのは日本国内における左翼の支援と在日中国人の人口増加であるが、外交面で露骨なのは日韓分断工作だ。日本のニュースサイトではレコードチャイナの記事が目立つが、嫌韓サイトに引用されるような記事が多く掲載されると同時に、「日本に旅行して日本の素晴らしさに感動した中国人」の記事がしつこい程掲載されている。これは明らかに日韓分断と親中意識の刷り込みを企図したものだ。

韓国による対馬への野心も、遠い将来には中国にとっての軍事オプションになりうる。そうでなくても漁業水域を巡っての紛争を工作する事もあるだろう。

日本と台湾の間は、南シナ海と尖閣の問題で裂く事が可能だ。台湾は尖閣同様、南シナ海での領有権を主張しており、この点は中共と一致している。台湾と韓国が良好な関係になれば、日本と台湾の友好関係に楔を打てるが、これは難しいだろう。中共の戦略としてはこれまで通り日本側に「一つの中国」を迫り、日台を疎遠にしたタイミングで尖閣領有での台湾との共闘を築く、というものになるだろう。

北朝鮮の脅威は、中国にとって色々と活用できる。軍事オプションを持たない日本にとって北朝鮮に対抗するには中国が重要な役割を果すからだ。

ロシアとの関係では、冷戦時代ほど軍事的な緊張はない。しかしロシアによる日本漁船の拿捕やロシア軍の軍事演習により日本側の注意を北方に逸らす事は考えられる。

中国の野心は尖閣だけではなくもっと遠大なものだが、五島列島に大量の中国漁船を送りこむという両面作戦が中国にとっては有効だろう。

もちろん、中共にとっての最も重要な工作は日米離間である。沖縄の基地問題で左翼が抗議活動を繰り広げるのはその戦略の一環だ。日米離間とはいかなくても、アメリカのイラク侵攻のような事態が生じれば日本に軍事的圧力をかけるチャンスとなる。

中国はサラミ戦法と呼ばれる、徐々に自国の権益を拡大する事を戦略の基本としているが、作戦決行の時と場所を選ぶのは中国であり、日本が多方面で問題を抱えるタイミングで一気に仕掛けてくることだろう。その時、憲法9条という弱点を有する日本は厳しい選択を迫られる事になる。