あの金ピカ像は「少女像」で正しい

自民党部会で韓国で流行している例の金ピカ(銅ピカ?)像について、「少女像」の名称を止めるべきとの意見が出されたようだ。報道によると外務省は「慰安婦像」と称するとの事。

名称変更を言い出したのは青山繁晴議員と佐藤正久議員と報道されている。

青山氏は各種番組で「偽少女像」と言っていたのは知っているし、青山繁晴の番組は私も多く見聞きしている。しかし今回の名称変更の話題が出てからは見ても聞いてもいない。保守派番組には興味がない大多数の国民と同じ視点でこの件について考えてみるためだ。

結論から言うと、「少女像」を「慰安婦像」と言い換える事は間違っている。

少女像と言う表現だと、あたかも慰安婦の中に少女が含まれていた事を暗に認める事になるから、というのが名称変更の理由なようだ。しかし、これは妥当なように見えて実はとんでもない間違いである。

あの金ピカ像は、誰がどう見ても椅子に座った少女の姿である。だから、これを「少女像」ではなく「慰安婦像」と言った瞬間に、「慰安婦は少女である」と言ったことと同じ事になるのである。

あの像は断じて慰安婦像ではない。何故なら、少女の慰安婦というのは存在しなかったからである。それを「慰安婦」と称しては、かえって外務省が「慰安婦には少女がいた」と認めてしまう事になってしまう。

おそらく左翼メディアはその事に気がついているだろう。単純な話なので一般国民も気がついているはずだ。そして、外務省も当然認識しており、知っててわざと反論していないのだろう。

問題なのは像そのものではなく、その像に付随している碑文の内容なのである。

韓国人が趣味で銅像を建てるなら、ほっておけば良い。それは、隣の椅子に誰も座らない孤独な少女を模した像かもしれないし、駅のベンチで電車を待っている少女なのかもしれない。ひょっとしたら15年前に米軍の装甲車で轢き殺された中学生の像なのかもしれない。

いずれにしても、あの像が示す年齢の女性が慰安婦となったというのは虚構であり、その意味では、あの像は少女像ではあっても慰安婦像ではない。

慰安婦問題は韓国や国内左翼による捏造が問題なのであり、銅像自体よりもそれに附属する解説を問題視すべきなのだ。下手に銅像そのものにこだわると、相手の術中に嵌る事になってしまう。第三者から見ると、日本は過去の恥部と認識しているから嫌がっている、と思われるのである。

銅像の問題は前々回のブログで主張したように、釜山の総領事館を廃止すれば一気に解決する。そうすれば日本は大使を帰国させた理由がなくなり、韓国側としては銅像を撤去する理由もなくなる。日韓スワップ協定については、韓国側が不要であるとの立場を明確にしたので協議を再開しなくても支障はない。

韓国では反日政権が登場するのが確実なようであるから、民間の交流も激減するため、韓国には1箇所だけ大使館があれば十分だ。

とにかく、あの二人席に独りで座る少女像で揉めるのは実は日本側に不利である。慰安婦は強制連行されたものではない、という歴史的事実を政府として明言すれば、後は自然に解決するはずだ。