インドネシアの高速鉄道事業について、日本が受注を逃したという事がニュースとして伝えられている。
インドネシア高速鉄道事業というのは、ジャカルタとバンドンの間を新幹線で接続するものだ。日中が受注を競いあったが、中国が受注する事になった。
マスコミは日本の敗北であるというトーンで伝え、またインフラ輸出を目指す安倍政権にとっては打撃である、という論調も見られる。
しかしながら、実はこの事業の失注はそれ程大きな問題ではなく、「中国に負けた」とか、日本の技術が中国に追いつかれたとか、外交上の敗北であるとか、そういう事を深刻に考える事ではない。むしろ、失注して良かったような言えるような怪しげな事業なのである。実に変な事業であるからこそ、日本側はインドネシア側の政府保証を要求していたのだ。
では、中国は何故この事業を受注できたのか。中国が日本の技術を盗んだとか、なりふりかまわない中国の市場拡大とか、インドネシアの中国偏向とか、そいういう問題ではない。これは、リスク分散の思想が、日本のような伝統的な資本主義国と、社会主義者や途上国から突然資本主義に染まった国とでは、根本的に異なるという事が背景にある。
資本主義というのは、端的に言うとババ抜きの経済である。すなわち、損を誰かに掴ませて、自分は儲けよう、という思想で動く経済である。もちろん、これでは資本主義は腐敗するだけであるから、資本主義国はプレーヤーに高い倫理性を要求することで、社会の秩序を維持しているのである。日本は太古の昔から、この高い倫理性を有していた。だからこそ、日本はアジアの中で近代化を実現し、突出した経済成長を実現できたのである。
これに対し、冷戦終戦後に資本主義体制に参加した旧社会主義国や、近年経済成長してきた新興国は、資本主義に必要とされる倫理は意識せず、「強欲」資本主義と言われる、誰もが爆弾を誰か他に人に騙して渡す事で儲けを実現しようとする思想に染まってしまっている。
「赤い資本主義」とは正にその思想である。中国はインドネシアの政府保証がなくても高速鉄道の売り込みで損する事は有り得ない。中国は、リスクを民間の投資家に転換できるのだ。一方で日本はできない。日本は、事業が失敗した場合に投資家に対して、「投資した貴方のリスクでしょ」とは言えない。資本主義の倫理があるからだ。
一方、共産主義国家の中国や新興国のインドネシアは違う。リスクを取ろうとする民間投資家がいるなら、そいつらに金を出させれば良い、ハイリスク・ハイリターンが資本主義なのだろう、儲けたいなら、リスクを取れよ、というのが彼らの背景にある思想である。
近年、世界のインフラ市場では民間資金の導入が盛んになっている。リスクを冒してでも儲けたい投資家がいる限り、許認可権を握る政府は強気だ。社会資本は国民が負担するという従来の考え方は、政治家には受けず、売りたがっている連中、金を貸したい連中、投資したい連中のリスクに頼る方が魅力的なのだ。
インドネシア側から見れば、新幹線を売りたがっている日本がリスクを負うべきなのだ。中国と日本の間で競争させて、インドネシアが最大の利益を得るように動くのは当然の事なのである。
資本主義は、これまでの西側諸国を支えてきたが、それは社会主義や独裁国家に対抗する自由主義と民主主義と一体となって機能してきた。それが現在では旧社会主義国などの参入と民間投資家による国家インフラ事業への参入の流れ、そして強欲なハゲタカ投資家の跋扈により、醜い姿に変質しつつある。