安倍元総理の死を世界の指導者達が悼んだ理由

安倍晋三元首相が参議院選挙の期間中、令和4年7月8日に銃撃により死亡した事件は国内外に大きな衝撃を与えたが、多くの日本人にとって意外だったのは多くの海外指導者が安倍元首相の業績を称えた上で哀悼の意を表した事だった。失って始めて本人の偉大さに気がつかされる典型的な例であるが、予想を超える海外の反応を受ける形で、岸田内閣は安倍晋三元総理の国葬を決定した。国葬ないしはそれに準じる儀式を実施しなければ国の恥とも言えるほど、海外指導者達が見せた哀悼は深いものだったのである。

それでは、どうして世界中の指導者が安倍元総理の死に強い衝撃を受け、深く悲しんだのであろうか。それは昨今の世界情勢が大きく関係している。

今、世界には至る所に断絶の溝がある。ロシアや中国が引き起こしている分断だけではない。BLM運動に見るように過去の歴史に遡って人種間、国家間、文明間の溝が深くなっているのだ。各国の政治家は原則論に縛られてギブアンドテイクといった柔軟な動きが取れず、対話をしても対立は容易に解消されない。このような緊張状態にある国際関係を緩和する上で、仲介役となる第三者の存在は重要であり、世界の指導者が求も渇望しているのが仲介者の存在なのである。

日本という国は、特殊な条件下ではあるが世界の緊張緩和に仲介役となり得るポテンシャルを秘めている。特に欧州白人キリスト教国と彼等が植民地支配した国々との間に生じる対立について、日本は第三者として仲介役となり得る。白人対黒人という人種対立やキリスト教イスラム教という宗教対立、そして保守対リベラルという政治姿勢対立でも日本は緊張緩和に貢献できる立場にある。

しかし、仲介役というのは、日本というブランドを背負っているだけでは不可能だ。交渉は人間が行うものであり、仲介者となるには各国からの人間として信頼を得ている事が最重要であり、現在の日本では安倍元総理を除いては誰も存在しない。つまり、安倍晋三の死によって日本は仲介役としての世界平和貢献が不可能な状態となったのである。

安倍晋三銃撃事件は、日本国内においては政治勢力の塗り替えに過ぎないが、世界において貴重な平和カードの喪失であったのだ。

統一教会の教義と米国リベラルのクリティカル・レイス・セオリー

現在、米国社会を分断させている主張の一つに、クリティカル・レイス・セオリー (Critical Race Theory)というものがある。これは制度や社会の中に人種差別が組込まれているという理論だが、究極的には現在を生きる白人はかつての白人がやった人種差別についての罪を背負っている、という結論に行きつく。

リベラル派が支配的なアメリカでは大学など教育機関で積極的に人種差別問題などを取り上げた教育を実施しており、クリティカル・レイス・セオリーもその中に含まれる。過去の人種差別時代に形成された法制度や社会が現在も続いて人種差別を助長する要因となっている。特に問題ない理論のようだが、実際にこの理論を説明しはじめると、白人の歴史がいかに差別主義であったかという歴史への罪悪感、そして過去の人種差別の上にある現在の社会システムに生きる白人も人種差別という装置の一部という現在における罪悪感を白人に強制するものであることが分かるはずだ。

先祖の罪を子孫に負わせる。これは日本においては大日本帝国の時代を否定する左翼リベラルの常套手段であるが、アメリカにおいてもリベラル派によって過去の罪を清算すべき白人グループと、その補償を受ける有色人種グループに分割する基本原則となっている。

日本では左翼により日本がかつてアジア諸国に対して犯した罪の重さが繰り返し強調され、現代日本人に対して贖罪意識を植えつけている。毎年8月15日が近づくたびにメディアや左翼団体は戦前の天皇制日本の極悪非道ぶりを主張し、日本は加害者、アジア諸国は被害者という潜在意識が日本人の意識に刷り込まれていく。

そして、その潜在意識を最大限に利用しているのが、現在話題となっている統一教会(世界平和統一家庭連合)である。統一教会の教義は、韓国は神に祝福された国であり、日本は罪深きサタンの国であるというもので、日帝支配40年は韓民族弾圧の時代であり、現在日本人はその罪を清算しなければならない、とするものだ。

統一教会の教義はキリスト教の聖書が基本となっている。キリスト教はもともと人類には原罪があるという思想であり、キリスト教系団体の布教は多かれ少なかれ罪悪感を芽生えさせる事と救済を求めさせる事がセットになっている。皮肉な事であるが、米国リベラルが採用しているクリティカル・レイス・セオリーとは、保守派が大切にするキリスト教価値観そのものなのである。

そして日本における皮肉とは、左翼が日本人の潜在意識に植えつけた罪悪感を、左翼の敵であるはずの統一教会が救っている構図である。

 

戦後の自虐史観教育が可能にした統一教会の洗脳

安倍元総理銃撃事件により、かつて大きな社会問題となっていた統一教会の洗脳が今日まで継続していた事が明確となった。統一教会は反共団体であり、冷戦時代には韓国側につく日本国政府と深い関係があったが、冷戦後には関係を断てたはずだが、自民党はそうはしなかった。

統一教会の教義は、韓国社会特有の男尊女卑思想のもとで、韓国を男、日本を女と見做し、それ故に日本は罪深き国家であると主張するものである。日本人には到底受け入れられない思想であるが、戦後の平和教育によって第二次世界大戦中に日本が朝鮮に酷い事をした、という意識が日本人の精神に根付いてしまったため、統一教会による洗脳は容易であったと想像できる。

古いニュースになるが、従軍慰安婦問題で、日本人を代表して韓国に謝罪する日本人女性が多くいた。彼女らの多くは韓国人男性と結婚した日本人の統一教会信者である可能性が高いと言われたが、統一教会の教義を考えれば自然な事であろう。

実際、従軍慰安婦を性奴隷だとする描写は、日本人に罪悪感と贖罪意識を植えつけるに十分であり、統一教会が日本人を洗脳する上で最も有効な手段であろう。私自身の体験としても、従軍慰安婦の話が世に登場した頃には強い罪悪感と贖罪意識から、戦争に反対してきた共産党への信頼が高まった時期があるのだ。

従軍慰安婦性奴隷説は、聖書を引用して日本人がサタンの子孫だとする突拍子ない話よりは遥かに説得力のある論法であり、洗脳の入口としては手軽に始められるものだ。つまり、福島瑞穂らが広めた従軍慰安婦の虚構が統一教会の伸長に貢献しているのである。慰安婦問題は戦後左翼の創作であり昔は存在しなかったが、戦後しばらくは敗戦と自虐史観教育により日本が朝鮮人に対して酷い事をしてきた、という論理が統一教会の洗脳を支えてきた。

統一教会と政治家の関係が問題視されているが、最も重大な問題は「日本が朝鮮半島を植民地化して朝鮮人を苦しめたのだから韓国に謝罪しなければならない」と主張する宗教団体の支持を「保守派」とされる政治家が受けている、という事だ。政治家の信念と異なる主張をする団体の支持を得る事自体が有権者に対する詐欺行為である。

もちろん政治家の主張に100%合致する団体など存在しない。いわゆる業界団体というは、その業界に理解のある政治家を支持するが、憲法改正支持だとか対中姿勢だとかには関係なく投票する。しかし統一教会は韓国系の団体であり、その教義は保守の根本原則から大きく逸脱しているものだ。創価学会の支持を得るという話とは次元が違うのである。

とはいえ、左翼ではない普通の保守的な日本人でも、韓国や中国との関係で「そうは言っても日本は昔ひどい事したからね」などと自然に言ってしまうのだ。これでは日本人の贖罪意識を糧とする統一教会の洗脳を止めさせる事は難しいだろう。

 

ミャンマーからは撤退するがサハリンには残る日本のエネルギー開発

ミャンマーには日本政府と三菱商事及びENEOSが参加する天然ガス事業があるが、2月には三菱商事が撤退を表明し、ENEOSも5月2日に撤退すると発表した。同事業はミャンマー南部沖のイェクダンガス田で天然ガスを産出するもので、産出量が減少しているとは言え、人権弾圧をしている国軍の資金源になっているという事で批判を浴びている案件である。

採算性の低下という経済環境の変化が撤退の主たる理由と思われるが、欧米企業が天然ガス事業から撤退する中、国際社会からの圧力と同国の人権問題も大きな理由だろう。

天然ガス輸出はミャンマー国軍の主要な資金源とされており、欧米や日本が撤退しても中国の支援で事業は継続されるだろう。ちなみに韓国のPOSCOが同国で展延ガス事業を継続しているが、一応は西側民主主義国なので目立った行動は出来ない。

ミャンマーとは結びつきの強い日本ではあるが、3月に米国がミャンマー軍のロヒンギャ迫害をジェノサイドと認定したばかりであり、人権抑圧国家であっても中国の影響力に対抗するため一定の関係を維持するという日本の独自外交を維持するのは困難だという事だ。

一方で日本はサハリンにおける石油・ガス事業からは撤退はしない方針である。日本が撤退すると中国が権益を握る事になり、日本の権益を脅かすというのが理由のようだ。また政府はエネルギー安全保障を強調しているが、それなら韓国に倣ってミャンマーの天然ガス事業も維持しておかなければ整合性が取れない。

現在の日本政府が、資源開発においてミャンマーからは撤退しロシアからは撤退しない理由は、正義とか人権といった理由ではない。それが理由ならロシアによるウクライナ侵略はミャンマーの人権弾圧より罪が軽いという事になってしまう。エネルギー供給国の多様化こそ必要なのに、ミャンマーを切り捨ててロシア依存を強めようというのだから、国益ですらない。本当の理由は経済的利権でありミャンマー派はロシア派より弱かったという事だ。

ドイツはロシアからの天然ガス輸入で国際的な批判を浴びたが、ミャンマーはじめ世界の人権抑圧国家に厳しい経済制裁を課している欧米世論はダブルスタンダードを許さない。ウクライナが感謝した国に日本が含まれていないと大騒ぎした連中が居たが、対ロシア制裁に関して日本はドイツと同じ立場なのである。

ドイツ、そして日本が経済制裁の抜け道を塞がないなら、それ以上の支援をウクライナに与えなければならない。当然それには軍事支援も含む。ロシアに支払う天然ガス代金も軍事費に化けるのだから。

 

朝鮮半島で発見された前方後円墳、任那論争が盛り上らない

朝鮮半島南部、住所で言うと全羅南道海南の北日面方山里に韓国で最大規模の古代の墓と言われている長鼓山古墳がある。この古墳は形状が前方後円墳であり、発掘したところ九州で見られる古墳と同じ様式であったため慌てて一般公開を中止し、今年2月に石室が埋め戻された。コロナのために一般公開できないというのが表向きの理由であるが、任那日本府の証拠とされるのを恐れたのが本音であろう。

これは日本でも一瞬だけ注目を浴びたが、すぐに古い話となってしまったようだ。

朝鮮半島における前方後円墳の存在は以前から知られていたが、歴史上の文献には記載がなく、場所については日本の歴史家の間で任那とされている地域ではなく朝鮮半島南西部に多く分布しているため、非常にミステリアスで、説得力のある仮説もなかった。

ところが、今回話題となっている長鼓山古墳は、任那の一部であったと想定可能な場所にある。やや西に寄り過ぎの観はあるが、現在の教科書から消される前の任那の範囲を正しいと考えればつじつまが合う。

朝鮮半島で倭人の墓であるはずの前方後円墳が多数存在している。これだけでも邪馬台国論争に次いで学者から古代史ファンまで巻き込んだ熱い論争が起きて良い理由となるはずだ。ところがそうはなっていない。朝鮮半島の前方後円墳の埋葬者が誰なのか、倭人なのか百済人なのか、それとも第三国人なのか、興味深いミステリーなのに盛り上がっていないのだ。

その理由であるが、日本史の戦後主流派とされる任那否定論者達の反応があまりにも静か過ぎるためであろう。任那肯定派の説は明確だ。当時朝鮮半島南部は倭に属する任那で倭人が住んでいた、だから埋葬者は倭人である。しかし、論争は反論が無ければ盛り上がらない。任那否定論者は、この件に関しては任那を前提とした意見を全く無視して議論を仕掛ける事もない。ただ、「百済に渡り現地で死亡した倭の貴人を埋葬した」などの仮説について簡単に触れ、日本と百済は交流が盛んで渡来人が多くの文物を伝えた、等と話題を逸らすのである。「これこそ任那の証拠だ」と多くの人が主張しても反論がなく、ただ黙殺されるだけなので議論にならないのだ。

長鼓山古墳が埋め戻されたというニュースは、現代史に任那を復活させる良い機会であった。せめて任那肯定派の中だけでも論争を活発化させたいのだ。ちなみに私の説は、任那四県割譲など、半島での倭人が大和王朝に見捨てられ、少数派に転落していく中で、任那は倭人国家であるという痕跡を残してあえて当時九州で流行していた形式の墓を建設していった、というものである。