LoveがHateに勝った2016アメリカ大統領選挙

2016年米大統領選は、トランプ氏の勝利という、多くの人達にとって予想外の結果となった。直後から多くの分析が出されたが、年も明け、衝撃が冷めつつある。

選挙期間中は米国のマスコミがクリントン優勢を伝え続け、日本のマスコミも同じ内容を報道していたことから、選挙期間中のメディアの偏向姿勢を批判する意見もあった。

左派系メディアの政治的偏向報道は問題ではあったが、トランプ当選の件で個人的にはマスコミを批判する気にはなれない。何故なら私自身はアメリカ次期大統領には第三の男が選ばれると予想していたからだ。つまり、それ程にまでトランプ大統領というのは有り得ない話だったのだ。

トランプ氏が大統領に選出されたのは事実であって、しばらく自分の思い込みの間違いについて考えてみた。評論家やメディアが選挙後に、あたかも選挙期間中から知ってたかのように詳細な解説をしており、その内容には概ね賛成なのだが、主として浮動票についてのコメントである。固定票、つまり共和党の支持者は、何故トランプ氏に投票したのだろうか。

選挙期間中、ブッシュ前大統領がトランプ不支持の立場を表明したように、強固な共和党支持者でもトランプ氏に愛想をつかして投票しないという人達もいた。偏向メディアの伝えた内容だが、それは事実であっただろう。トランプを支持しない共和党議員も多くいるようだ。それでも共和党の固定票はトランプに投票した。

民主主義は、自由な意思を持った個人の一票の積み重ねという単純なものではない。先進国であろうと後進国であろうと、民主主義国家では利益集団の存在が非常に大きい。それぞれの利益集団は大統領が変人であろうが女性差別主義者であろうが関係はない。共和党の支持基盤となる利益集団も同じであり、長く続いた民主党政権が変わるのであれば、大統領は誰でも良いのである。昨年の米大統領選挙は、民主主義における利益集団の重要性を示したものであったという事だ。

さて、タイトルの件である。浮動票はどうしてトランプに流れたのか。様々な事が言われている。メディアの多くは、差別主義者がトランプを支持している、と言っていた。そして英国のEU離脱の背景と同じく、排外主義の伸張がトランプを支えた、というのが典型的な分析だった。反トランプ派は、反ヘイトを訴え、愛と共存を唱えたが、接戦を制する事が出来ず、トランプの誕生を許してしまった。

私もこのような分析に同意見だ。ただし、ヘイトと愛が逆である。

2016年米大統領選の分析では、「ポリティカル・コレクトネス」がキーワードの一つになった。異教徒に配慮してメリークリスマスと言えない、というのは良く知られた典型で、クリスマス前にアメリカの国内線に乗ると着陸前の機長の挨拶はハッピーホリデーである。リベラル思想が過激化し、まるで共産主義国家のような言論統制が進行しているのだ。地域の伝統と文化を抑圧し、外国人の流入と異文化を過度に保護するという奇妙な正義が社会を覆っている。反差別やら異文化・外国人への寛容の強制が、社会を陰鬱なものにしている。

これまで日本国内ではネットの普及で日本と周辺国に関連したメディアの偏向報道や外国勢力寄りの左翼運動の実態、戦後歴史教育の虚構などが広く知られるようになったが、米国や欧米の動きについてはあまり関心がなく、情報も限定的だった。しかし最近の欧州の移民問題や英国のEU離脱、そして米国大統領選挙を契機に欧米におけるリベラル過激思想の実態が知られつつある。

欧米では難民・移民の犯罪報道は差別を助長するとして隠され、外国人に対する差別的言動は、犯罪とは言えないレベルであっても大々的に報道されているらしい。キリスト教が支配的な社会でありながら、多文化共生の名のもとにイスラム教徒に対する配慮が度を超え、もともとの文化・社会が動揺している状況にある。リベラル過激思想というのは、異文化・外国勢力を過度に保護する立場から、常に差別を話題にし、社会全体が差別のレッテルを恐れて萎縮しているのだ。

人々が求めているのは平和と安定、愛に満ちた平穏な生活だ。左翼が事あるごとに政治問題化しようとする差別問題・ヘイト問題には、一般的な市民は辟易しているのであろう。憎悪の無い、愛と友情に満ちた社会への希求、これがトランプ当選の背景の一つなのであろう。