『降伏憲法の改正は独立日本の大義名分である』 in 朝日新聞

面白い文章を見付けたので、以下に引用する。

事情が明白になったいま思うと、日本人を酔わせた時の憲法第九条は、要するに、占領軍が剣をつきつけてした武装解除の最後の仕上げだった。われわれが感激して甘美なソネットを口ずさんでいる間に、占領軍が長期にわたって駐留するための前提はかくしてやすやすと獲得されていたのである。この屈辱的な背景を思うと、いかにうれしい殺し文句が並んでいても、この憲法を「擁護」するお人よしにはなれない。

とはいえ、憲法制定責任者を含む保守勢力が勝利国の都合の変化にはせ参じて、昨今にわかに憲法改正の看板を掲げたのはいかにも腹が見すえている。が、降伏憲法の改正は、独立日本の大義名分である。革新勢力は、率直に行きがかりをすてて、新日本の首途に独自の動機から憲法改正を決意すべきである。同じ憲法改正でも、保守勢力のそれとは、目的が異っているはずだから、いかに改正するかという点で、保守勢力の陰謀とたたかうことはできるはずである。

この文章、革新勢力に憲法改正を促すなど、多少違和感はあるが、状況を良く理解しており、良い文章だと思う。

実はこれ、昭和29年(1954年)2月25日付の朝日新聞に掲載された「きのうきょう」というコラムの文章である。寄稿は平林たい子。題名は『憲法擁護か改正か』。時は吉田内閣時代、主権回復後の自主憲法制定論議と日本の再軍備が議論になっていた時代である。

日本は1952年にサンフランシスコ講和条約が発効して主権を回復しており、憲法改正が国民的な議論になっていたのである。また自衛隊発足を控え、日本の再軍備について侃々諤々の議論がされていた。上記の文章は、そのような環境の中で朝日新聞に掲載されたのである。60年前の主張が、今日でもそっくり適用できそうであるが、要するに憲法改正というのは、過去60年間、ずっと議論されてきた問題なのである。

朝日新聞は、言うまでもなく戦後は左翼化した新聞である。今日では、朝日新聞は特定機密保護法や集団的自衛権の行使容認に関して反対派の意見しか掲載しないなど、露骨な偏向報道をしている。しかし当時は、平林たい子のコラムに見るように、まだ色々な意見を掲載するだけの度量があったのである。

さて、上記コラムは途中からの引用である。前半部分は以下の通り。

憲法擁護運動の中心点は、結局再軍備反対にあるのではなかろうか。それなら憲法保護などと回りくどく言わずにそれた端的に標ボウすべきである。というのは、ハラ芸のわからぬあわて者には、憲法をくれた占領軍の功績でも賛える運動のように誤解されかねないからである。

そう、憲法守れというのは、結局のところGHQ礼賛なのである。