GHQプレスコードによる検閲と大手新聞社

終戦後のメディアがGHQが定めたプレスコードによる制約を受けていた事は、最近になって田母神俊雄の紹介もあって広く知られるようになっている。このため保守系の側から語られる事が多いが、当時はむしろ共産党など左翼勢力にとっての脅威であった。

GHQ占領下の日本で無謀にもプレス・コードを犯して占領軍批判をした者たちがいた。プレス・コード自体はGHQの指令であるが、占領下の日本では、占領軍の命令はそのまま合法的なものとみなされていた。昭和20年9月20日にはポツダム緊急勅令が出され、GHQの命令を即、国の命令とする仕組みとした。プレス・コード(言論及び新聞の自由に関する覚書)も同時期に発布されている。昭和25年には政令325号「占領目的阻害行為処罰令」が定められ、プレス・コード違反は政令325号違反となる。時期から分かるように、これは共産主義に対抗するものだった。

講和条約の後、占領軍の指令は自然消滅となったが、政令325号が有効かどうかで争われた事があった。決着がついたのは昭和30年4月27日の最高裁で、昭和26年にプレス・コード違反を犯した左翼活動家に対して免訴の判決を下した。日本が主権を回復した後でも占領下の命令違反が継続している事の方が変なので、あたり前の判決であるが、当時の左派勢力にとっては勝利だったであろう。

だから、プレス・コードというのは左翼の側が永く記憶していたはずのものだ。ところが最近では保守派によるプレスコード批判が多い。これはどういう事なのか。

冷戦の始まりとともに、占領軍は共産主義者を敵視するようになるが、同時に戦勝国として戦前・戦中の日本を徹底的に貶め、精神的にも制度的にも米国に隷属するような政策は一貫して押し進めた。その批判を封じるためのプレス・コードであったし、またプレス・コード自体が国民を洗脳するために機能した。

当時の日本の言論界や出版会はこれに屈したと言えるが、同時に巧妙な検閲がアカハタのような反乱を不可能にしてしまった。朝日新聞、読売新聞、東京新聞といった新聞に加え、時事新報や産経新聞もマッカーサーを神と崇めんばかりの記事を書き、講和条約の発効まではおとなしくしていたのだ。

残念ながらプレスコードと検閲が新聞記事にどれくらいの影響を与えたかについては明らかではない。当時の事を知る人は、おそらく全て他界してしまった。大手新聞社には当時の検閲の記録や記憶が残されていないのだろうか。プレスコードに敢然と反抗していたのがアカハタだけだったとは寂しい限りだ。

保守派の人達は、マスコミが現在でもプレスコードをひそかに守っている、と主張しているようだが、それは大きな間違いだ。何故ならプレス・コードの第一項にはこう書かれているからだ。

「報道は絶対に真実に即すること」