朝鮮戦争における居昌事件に見る韓国軍の正体

朝鮮戦争の最中に発生した居昌事件(コチャンじけん、1951年)は、韓国軍の残虐性を示すものとして、ネットでは比較的有名な事件である。「Wikipedia参照」で終る話題であるが、記録のため記述しておこう。

慶尚南道というのは、韓国南部にあり、海を隔てて日本に近い。その中に居昌郡という郡があり、事件はそこで発生した。

その地は一度北朝鮮軍の侵入を受けたが、国連軍が撃退している。その際、韓国軍は、村民多数を共産軍に通報したとして神院里国民学校の校庭に集め、銃殺ののち全員を焼き捨てた。にもかかわらず、それを共産軍の残虐行為であると偽って始末した、という事件である。犠牲者数はWikipediaでは719名となっている。

地元住民が国会に密告したため、真相が暴露される事になり、韓国軍は合同調査団を現地に派遣するのだが、ここでまた韓国らしい失態をさらしてしまう。韓国軍は味方の兵士に共産軍の軍服を着せ、赤旗を持たせて山中に潜伏させた。そして、何と合同調査団に対してわざと発泡し、調査を妨害しようとしたのだ。この工作はすぐ発覚してしまう。

結局、軍隊は虐殺死体の秘密埋葬命令や、作戦命令の改変命令、報告書の偽造命令などを行なっていた事が発覚してしまった。

当時国防部長官だった申性模は批判を浴びる事になるのだが、強く批判していた東亜日報の主筆兼編集局長の金三奎は、国を追われて日本に亡命する事になってしまう。

居昌事件で見えてくるものは、韓国軍の残虐性に加え、自分を罪を敵になすりつける伝統、嘘と隠蔽を平然とやらかす民族性、下手な小細工を弄するマヌケぶり、であろうか。

ちなみに上記の内容は、時事新報1953年11月15日の記事『弱大国日本と観念強国韓国』を参考にした。記事では他に予備軍の最高指揮官が兵士に配給する一日六合の兵食を二号ずつごまかしたり、軍服数千着を横領したという事も書かれている。

反日を徹底する一方で内部の統制はガタガタ、というのは韓国の今でも続く伝統のようである。