天皇と護憲

子供の頃に身についた信念というものは、その人の人格の一部となり、容易に否定できるものではない。私の場合、それは天皇観である。すっかり右翼となってしまった今でも、天皇に「陛下」をつけたり、皇室に殿下やら妃などの用語には違和感を感じる。例えば友人同士の何げない会話の中で、人が皇室を尊重するような話を始めると本能的に話題を変えようとしてしまう。

理由はもちろん、共産党一家に育ったからだ。赤旗を読み、共産党の書籍に目を通し、共産党員の親の話を聞いていたため、天皇と言えば、昭和天皇の戦争責任や明治憲法下の封建制度、そして共産党弾圧などの人権侵害を連想するようになってしまったのだ。もちろん、共産主義の観点からは天皇制は平等の精神に反するものであり、そもそも否定すべきものだった。

当時、私は平和憲法を守れという共産党の主張は正しいと思っていたが、天皇制については憲法改正すべきだと感じていた。反天皇制なのに護憲というのは共産党の矛盾だとは気がついていたが、日本人の大半が天皇を支持している状況では、ある程度妥協も必要なのだろうと納得していた。

靖国神社に参拝するようになった今でも、その対象は祖国のために闘った人々であり、天皇ではない。共産党シンパから反共に転じた私ですらそうなのだ。日本共産党が象徴の形であれ、天皇を肯定する事はあり得ない。

象徴天皇も支持し、憲法9条も支持する本当の意味での護憲派はむしろ自民党の中にいるのではないだろうか。すくなくとも、日本共産党が本心から天皇について定めている現憲法を死守しようと考えているのではない事は確かである。