真実のためなら誤報も正義と考える朝日新聞エリート記者へ

朝日新聞社は従軍慰安婦問題に関する一連の報道につき、誤報を認めたが、自社の主張は撤回していない。その姿勢は、部分的に間違いが見付かったからと言って、全てが間違いというわけではない、という一般論で今回の騒動を押し切ろうとしているように見える。

だが、朝日新聞のエリート記者はそうは思っていないのではないだろうか。「確かに報道に間違いはあったが、その事によって慰安婦問題が世間に知れ渡る事になったのだから、むしろ評価すべきではないか」と本音ではそう思っているのではないか。もちろん、天声人語で育った記者たちだから、「訂正記事を長期に掲載しなかった事については非難されるとは言え」などと付け加えるだろうが、内心は「しめしめ」と感じているに違いない。

朝日新聞記者というのは、一流大学卒のエリート揃いだ。エリートというのは、時として目的達成のためには嘘も正当化される、という思考回路を持つ事がある。朝日新聞というのは、慰安婦報道を通して旧日本軍は悪、という印象を強調したがっている集団だ。そして、その目的のためなら、多少の嘘は許されると考えている。その意味で、吉田清治の証言に関する報道は、間違いだったとは言え彼等の考えるところの「真実」を世の中にまきちらす事が出来たという評価できる誤報であったのだ。

そのような行為こそが、正に誤報ではなく捏造という所以なのである。

この発想、つまり真実のためなら嘘も正しいという考えは、朝日新聞が否定したはずの吉田清治の思想そのものである。彼が週間新潮で述べた「まあ、本に真実を書いても何の利益もない。関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もある。事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。チグハグな部分があってもしようがない。」というのは、心の底で「嘘も時には必要」という考えがあっての発言であろう。

朝日新聞エリート記者よ。諸君らがもし自分たちの主張のためにかつての嘘を内心評価しているとすれば、それは大きな間違いだ。それはメディアの自殺行為だ。今回の騒動で君らがやるべき事は、嘘を利用して構築した慰安婦の虚構を意固地に維持する事でなく、謙虚に見直す事なのである。メディアが嘘を利用するようになれば、それは民主主義の危機であり、子供達の将来にとっても悪影響だ。

本ブログの呼び掛けが実はまったくの空振りで、実は朝日新聞記者は過去の従軍慰安婦に関する虚偽報道を本気で恥じている事を祈るばかりである。