今年の週間新潮9月25日号で、ネット界では良く知られている南京大虐殺捏造写真の一つが紹介された。本多勝一著「中国の日本軍」で掲載された「虐殺の証拠」としての写真であるが、本多勝一自身が週間新潮の取材で誤用を認めたというのだ。
本多勝一が「誤用」した写真というのは、アサフグラフ731号(昭和12年11月10日)に掲載されたもので、日本軍と農民が一緒に橋を渡っているシーンだ。本多勝一は著書の中で、この写真について「婦女子を狩り集めて連れていく日本兵たち。強姦や輪姦は七、八歳の幼女から、七十歳を越えた老女にまで及んだ」と記載した。
この写真を利用したのは本多勝一だけではない。笠原十九司は「南京事件」の中で「日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち」と紹介している。
さて、アサヒグラフのキャプションは「我が兵士に護らて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女子供の群」とある。撮影は10月14日でまだ南京には辿りついていない。ところで日の丸部落というのは何であろうか。この写真の横には農村の様子を写した別の3枚の写真もあり、以下のように解説されている。
硝煙なほ煙る揚子江附近の宝山県の片隅に、我が軍の庇護によって平和に帰った二つの部落がある。その一つは『日の丸部落』といはれる盛家橋部落で、入り口には『兵は立ち入るを禁ず』といふ派遣部隊長の告示がある。村長さん格におさまっているのは田窪忠司部隊長で、村民たちから先生々々と慕はれている。約400名の村民は、我が軍の保護によって敗残支那兵の掠奪をまぬかれ意を安んして土に親しんでいる桃源郷である
この写真がアサヒグラフに掲載されていた事を発見したのは秦郁彦であるらしい。ネットではかなり早い時期から指摘されていたようで、10年以上前には誤用が明らかとなっていた。南京事件をめぐる論争、特に証拠写真をめぐっての論争は過去10年続いていたから、本多勝一が今回はじめて知った、というのは嘘であろう。また、朝日新聞が抗議しなかったというのも奇妙な話である。朝日新聞は戦前・戦中の戦争報道を自己批判しており、アサヒグラフの該当の写真について知らなかったはずがないからだ。