これは随分昔の、子供の頃の不思議な思い出である。
その日、一日中自宅にいた私はテレビのニュースでレーガン大統領が銃で狙撃された事を知った。酷い話だと思った。その時には、「いかなる理由であれ暴力は許せない」という、子供らしい真っ直ぐな、非常に正直な感想を持ったものである。
夕方になって、母親が買い物から帰ってきた。母親は玄関を開けて家に入るなり、「レーガンが殺されたんだって!」と声をあげ、居間にあたふたと入り、テレビをつけ、夕刊を読み始めた。私は母親のうれしそうな、喜んだような声に非常な違和感を感じ、母親が夕食の準備もそこそこにテレビや新聞を見る姿に当惑した。
しばらくして父親が帰ってきた。声こそ小さかったが、言ったこと、やった事は同じであった。私はレーガンの狙撃について、「暴力で自分の意見を通そうなんて、絶対に許せない」という、通常なら父親が絶対に褒めそうな事を言いたかったのだが、両親の態度を見て意見表明を留保し、何もなかったように過した。
その日の晩飯は、まるで通夜のようであった。レーガン大統領は一命をとりとめ、どうやら助かりそうだというのだ。その奇妙な雰囲気は理屈では理解出来なかったが、世の中には「暴力反対」などという正義だけでは成立しない、複雑な何かがあるのだろうと、そのような感じの事を考えながら晩飯を済ませ、早々に部屋に引き上げた。
両親の不可解な態度を理解出来たのは、それからしばらくしてからである。レーガン大統領は所謂タカ派であり、中曽根康弘などと同様、日本共産党の敵なのだ。しかしそれでも違和感は残った。普段から「暴力は悪だ。戦争は暴力だ。そして自衛隊は暴力のための悪だ」などと言っていた父親が、レーガン狙撃を非難するのではなく、むしろ生還した事に失望していたのだから。
今となっては、当時の両親の態度は完全に理解出来る。そう、つまり、それが共産党員の正体なのである。共産党の正義は、支持を得るための詭弁に過ぎない。多くの正義感ある日本人が、騙されてきているのである。私は共産党が何か正義の発言をするたび、あの日の事を思いだすのだ。
なお、レーガン大統領暗殺未遂事件は1981年3月30日の出来事である。