一説によれば、人類は約8万5000年前にアフリカを出て、アジアとヨーロッパに広がっていった。このうち、オーストラリア大陸には約6万5000年前には到達しているらしい。現在アボリジニと呼ばれる人々の祖先であるが、今では絶滅してしまったタスマニア原住民の祖先でもある。
タスマニア島の原住民も豪州大陸のアボリジニと同じ人種であるが、別々の文化を持つ別の民族である。アボリジニの文明は弓矢も持たない原始的なものであったが、タスマニア原住民はさらに原始的で、平和な民族だったようだ。人類の原始時代を研究する上では学術上、非常に貴重な存在である。
さて、イギリスは18世紀後半にオーストラリアへの入植を開始したが、彼らはアボリジニを多数虐殺し、その人口を激減させた。約10分の1に減少したらしい。その後もアボリジニはオーストラリア政府による人種隔離政策によって差別を受け、市民権を得たのは1967年の事である。
タスマニアへのイギリス人の入植は1803年から始まる。タスマニア先住民は当時数千人いたと言われているが、イギリス人による虐殺により苦難の時代を迎える。イギリス人が原住民をカヌーで沖合まで移し、一斉射撃で射殺する事もあった。イギリス人は、原住民が夜中、火を囲んで団欒している時を襲撃し、子供を火中に放り込み、銃剣で突き刺すといった事もやった。無傷の原住民に懸賞金がかけられ、原住民狩りという事も行なわれた。
やがてイギリスは保護政策(人種隔離政策)に移り、虐殺は止む事になるが、1832年にはタスマニア原住民の人口は200人程度に減少していた。1876年にはタスマニア先住民のトルガニニという女性が死亡し、純血のタスマニア民族は滅亡した。英国人は、その入植から約70年で、地球上から民族を一つ根絶させたのである。
日本の幕末から明治維新にかけて起きた、タスマニア先住民の絶滅という出来事は、イギリスによる植民地支配の正体を良く示していると言える。