慰安婦問題前夜の藤尾大臣の発言と中曽根首相による罷免を考える

昭和61年(1986年)のことである。当時の中曽根政権の文部省大臣であった藤尾正行氏が、「文藝春秋」紙での記事を原因に中曽根首相から罷免されるという事件があった。どういう記事だったかというと、「韓国併合は合意の上に形成されたもので、韓国にも責任がある」という主張が大問題となった。赤旗は大きく取り上げ、藤尾発言の冒頭に「侵略による」という枕詞を付加する事により、あたかも藤尾氏が「侵略は正しかった」と発言したかのような報道を続けた。

当時の左翼メディアの持つ威力は強力であり、例によって「韓国併合=侵略」と決めつけた上での報道を行ない、中国や韓国からの外圧を誘い、中曽根政権のイメージを悪化させた。結局、国民の支持が高かった中曽根首相も藤尾氏罷免せざるを得なかった。

藤尾大臣罷免事件から約30年を経て、嫌韓ブームを機に歴史を正しく学ぶようになった今日では、彼の発言は至極まっとうな主張である。おそらく今日同じような発言を政治家がしたとしても、政治の議論を大新聞やテレビが一方的に誘導していた当時のような世論とはならないであろう。「韓国併合は合法的なので、日韓双方が合意のもとで実現した」という立場が一方的に外圧や左翼に屈服するという事にはならないはずだ。

中曽根政権は、首相自身の失言(もちろんメディアが誇張して大々的に報道した)やら売上税構想で支持率を低下させるが、バブル景気で日本経済が絶頂に到達する時期でもあり、国鉄民営化などを成し遂げ、竹下政権に無難に引き継いだ。

その後、ベルリンの壁崩壊やソ連邦の解体などが起きて社会主義には受難な時代となるのだが、歴史問題に関しては全く別物で、藤尾大臣罷免以降、左傾化が進行する事になる。

すでに昭和57年(1982年)には教科書検定基準に近隣諸国条項なるものが採用され、中韓に都合の良い歴史が記載されるようになっていたが、バブル経済やジャパン・アズ・ナンバーワンにうかれて、歴史問題への対応を重視してこなかった。左翼が藤尾大臣の罷免を実現させた後、焦点を合わせたのが吉田清治が捏造した慰安婦問題である。その後の展開は最近報道の通り、朝日新聞が捏造報道を繰り返し、大新聞としての権威を利用して日本政府を屈服させ、平成5年(1993年)に河野談話の発表となった。

その後も左翼の暴走は続き、国連の場にまで慰安婦問題が持ち出され、捏造された物語で日本人が苦しむ事になるとともに、韓国が振り上げた拳を降ろせなくなり、30年経っても解決しない。日韓基本条約は戦後20年で締結できたというのにだ。

平成21年(2009年)、民主党政権が成立した時が左翼メディアの絶頂期となった。その原点となるのは藤尾大臣罷免で獲得した「韓国併合は侵略」と見る立場であり、反日左翼が調子に乗って自虐史観の押し付けをエスカレートさせてきたのだ。

だが、この30年間ではメディアの形態も様変わりし、中国の脅威が深刻になるなど、民主党政権発足の時期は、実は大きな転換点でもあった。日本の朝鮮統治に関する知識も、新聞やテレビからだけではなく、インターネット経由で多くの人が触れるようになり、韓国併合は合法的になされ、その経緯には朝鮮の側にも問題があった、という事を知るようになった。つまり、藤尾氏の発言こそは真実だったのである。