「公明選挙」を死語にした公明党は支那の手先なのか

公明党の山口代表が高市早苗大臣の靖国参拝を牽制した。中国との関係改善にマイナスというのが理由である。朝日新聞デジタル記事によると、10月15日、ラジオ日本の番組で「外交的な課題をつくのは避けるべきだ」と語ったそうだ。

公明党とその支持者の思考回路は反日左翼の代表的な考えと同じで、「平和」のためには全て日本が譲歩すべきというものだ。もちろん、中国側に譲歩する事は平和でも何でもなく単に中国の侵略を許すだけの話だ。

日中友好のために靖国参拝を禁止するというのは、世界平和のためにイスラム国(ISIS)の言うとおりに世界をイスラム化しよう、というくらい偏屈な「平和」主義である。本当は平和主義ではなく、単に平和を口実にした侵略の肯定だ。

ところで公明党と日本共産党は仲が悪い。両党の主張は非常に似通っているのに、何故犬猿の仲であるかというと、あまりにも似通っているからだろうか。両党は根本となる思想で、片や仏教、片や無神論の共産主義で、相入れないからだろうか。そうすると、日共は中共と必ずしも親密な様子がなく、逆に公明党が中国共産党寄りなのは何故だろう。

公明党の中国への異様なまでの思い入れは、単に「戦争になるくらいなら征服された方が良い」と考えるお花畑的な左翼思想だけでは説明できない。おそらく、その幹部、そして支持母体である創価学会に中国による工作の手が相当に及んでいると見るべきであろう。そして、公明党の党員、創価学会の会員自体、支那の手先となって活動していると理解すべきである。

昔、日本には「公明選挙」という言葉があった。不正や収賄のない、清潔な選挙という事で、選挙の際にはポスターの標語としても用いられていた。それだけ選挙というものが腐敗しやすいものであったという事であるが、より良い民主主義を実現していくという点で公明選挙という用語は非常に重要な日本語であった。

それが使えなくなったのは1960年代に登場した公明党のせいである。この党は創価学会の票をコントロールし、公明党の候補者が立候補する選挙区で確実に当選させてきた。公明党は日本の政治から「公明選挙」を抹殺し、池田大作を教祖とする宗教団体の政界への影響力を強めていったのだ。

自民党が公明党と連立を組むようになって約15年と、非常に長い期間になる。その間、中国の軍事力は急拡大し、沖縄奪取を企てる程になっている。在日中国人の勢力も在日朝鮮・韓国人を凌ぐようになり、日本という国家は中国の謀略に晒されて危険な状態である。そのような中で、支那の手先と思われる公明党が政権についている事は、あまりにも不自然である。

公明党が単に自己の宗教的価値観だけから日中関係を利用して靖国に反対しているのだとしたら、それはそれで問題だ。自分の利益のために外の勢力を利用する者がいる集団は衰退が早いからだ。だが、公明党の場合は、中国の利益になる事が自己の利益になる連中がいると考えるべきであろう。