朝鮮人を日本から「解放」した頃のアメリカ人が本国でやっていた事

西尾幹二のGHQ焚書図書開封シリーズは色々な事を教えてくれる。昭和16年『アメリカの実力(棟尾松治)』では、アメリカを正義、日本を全体主義として見做していた当時のアメリカの真実を伝えている。この本は国会図書館のデジタルコレクションから閲覧可能であるが、ここに西尾幹二が焦点をあてた箇所の文章を掲載する。旧字は変更している。

第七章アメリカ帝国主義、領土拡張

一 アメリカ人の正義人道

アメリカ人は『正義』とか『人道』とか『平和』とか『親善』とか、実に善い言葉を使う。かかる善言、美詞を私用する国民であるから —
定めし立派な国民であろうと思われるけど、実際、彼等の言動に直接触れて見ると幻滅の悲哀感を味あう。

著者はアメリカに留学し、アメリカの大学で、学生生活を経験したが、その間、米国人に対し幾多の疑問を懐いた。それに就て二、三の懐出を語ろう。

1922年の5月頃、初夏の晩のことであった。私の学んでいた○○○○大学の近くでリンチがあるというので下宿のおかみさんまで騒いでいる。出て見ると大変な人集りだ。街の暴徒が、黒人青年の首に縄をかけスツリートを引摺って行くのだ。見物人は野次馬になってワイワイ騒ぎながらついて行く。やがて街はずれの橋まで来た。橋の下は川ではなく、鉄道線路が通っている。

この橋でリンチ(私刑)がはじまった。暴徒の親方みたいな私刑執行人が、引摺ってきた黒人青年に『手前奴が、白人の娘を犯した罪によって只今私刑にするから覚悟しろ』と怒鳴った。黒人青年は、息絶えだえに、悲痛な聲で『私はそんなことをしない、私は無実だ、助けてくれ』と泣いている。

折柄一人の老紳士が現われた、『私の娘のために、こんなことになっては大変だ。どうかこの黒人を助けてやってくれ』と親方に頼んだ。

『馬鹿野郎!助けるものか、私刑にするのだ。愚図愚図いうと手前も一緒に私刑だぞ!』

老紳士はあきれている。人から見られるのを恥しそうに、こそこそと人込みの中に逃げ込んだ。問題の白人娘の父親だったのである。

橋の下の線路から『もう好いよ、早くやっちまえ』という。哀れ黒人青年は、首を縄で締められたまま、橋の上から振り落された。時計の振子のように、橋の昼間に振られていたが、遂にがっくりと絶命した。

この殺人私刑を、平気で見物している街の人達、中には若い女も相当あったし、私刑執行の暴徒の中には、大学生も加っていたということだ。

私は、その晩、容易に眠れなかった。何という無茶なことをする国民であろう。これが、正義、人道、博愛、親善、平等、自由を口にする一等国民の行為であろうか。それとも、これあ、アメリカ人の真実の姿なのであろうか—。

事件は斯うである。私刑の行われた橋下の線路側で、白人娘が黒人青年に犯された。娘は泣いて家に帰る、その父親は、カンカンに怒って警察に届ける。警察は活動を開始する。新聞はジャンジャン書く、忽ち街中の評判となり、『黒人は生意気だ』『やっつけろ』という憤りが世論となった。

一人の黒人青年が嫌疑者として逮捕された、裁判を数回開いて調べたが、犯人と断定がつかない。確証もあがらない。裁判所も困って、街の刑務所に入れて置いた。

裁判の拉致の明かむに業をにやした街の兄い連、暴徒となって刑務所を襲った。黒人の入っている独房に鍵がかかって開かぬので、近所のアセチリン瓦斯タンクからホースで、瓦斯を引いて、遂に鍵を焼切って、中から引張り出し、首に縄をかけて街中を引摺り廻した挙句が、この凄惨なるリンチである。

果して犯人であるか、否かも不明であるが、市民の激昂、世論の赴くところ、全く理性を忘れ、何をし出かすか解らないところにアメリカ人特有の性格がある。

しかしこの事件は、それで済んだのではない。私刑は法律の許さぬ行為である。そこで一応、兄い連、親方連を五、六人私刑執行の嫌疑者として検挙した。裁判の結果、陪審員は『無罪』を主張する。証拠が不十分とか何とかで有耶無耶に終って了った。これでは正義、人道が泣くではないか。