日本のノイローゼ「第三国人犯罪」

今日は昭和31年3月1日の産経新聞コラムを紹介する。戦後10年ころの日本の悩みが伝わってきるコラムである。

第三国人犯罪 暴力から社会悪へ 食いつめ者が多い密入国

○日中、日韓の国交回復がしきりに叫ばれているとき、今なお中国人、朝鮮人らを「第三国人」とよび、日本人は同じ在日外人でも欧米人とは全然違った見方をしている。これら第三国人と呼ばれている人達は現在日本に67万人居住している。そしてこの人達は日本が戦争しようと、負けようと、つねに日本に済みついて生活の場にしてきた。戦後この第三国人はいわゆる被圧迫階級から解放されてがらりと様相を一変してしまった。まず朝鮮人は在日朝鮮人総連合会、中国人は在日華僑総会という名の下に各々団結、日本に服従させられてきた立場を逆に日本を服従させることに働きかけてきた。この働きが現われたころから日本は完全に第三国人ノイローゼ症にとつつかれ一部のフラチな人達のために真面目な人達でさえ「第三国人」なるが故に日本人から冷やかな眼差しを浴びせられている実情だ。

○何故こうも日本人が彼らをさげすむようになったのか、それにはそれなりの理由があるようだ。まず23年頃の事件を想起するのが手っ取り早い。

同年4月24日、兵庫県で、神戸市内にある四校の朝鮮人学校に、日本側の校舎使用禁止と学校閉鎖を指示したところ、同日、在日朝鮮人一千人が県庁におしかけたまま会議中の知事室を占拠、在室の知事、副知事を監禁し「学校閉鎖取消し」の誓約書を強引に書かせ、さらに知事室を滅茶苦茶にこわして引揚げる事件が発生、また東京では、24年7月19日、渋谷署で渋谷駅前のマーケットを物価統制令違反で捜査したのを不服に思った中国人、台湾人120名が3台のトラックに分乗して渋谷署を短銃で射撃、署長以下8名に重傷(内2名死亡)を負わせる事件が、また浜松では、名古屋市、豊橋市の朝鮮人がそれぞれ、自分達のマーケット経営に日本人のテキ屋がじゃまだと短銃を白昼、市街に乱射、香具師3名を殺害、13名に重傷を負わせた。あるいは29年の春東京北区王子の朝鮮人学校で運動会のさい、仮装行列に日本の天皇、皇后を模して出場、手にナワをつけ、引っ張り回すなどぼうじゃく無人の振舞いを演じたものである。

こういった集団的な暴力行為はここ2、3年、カゲをひそめているがこれに代って登場したのが三国人演出の数々の社会悪だ。これを30年度一年間の警視庁管下犯罪統計から見ると、当時都の人口780万7660人で犯罪発生が20万500件、朝鮮人、中国人は6万9千200名で、発生は1万8802件で、犯罪を働く率は日本人が0.5%、彼らは25%という高率で、ことしも実に多くの犯罪を働いていることを実証している。

○現在日本にいる朝鮮人の約7割と中国人の6割は日本の永住権を獲得しているが、他の残りは法務省入国管理局から期限づきで日本居住が許可されている。ところがこの入国管理局は三国人の管理のほかに一般外人年間16万名が出入するのを管理しているし。しかもその監視は全国に12の事務所と審査官僅か400名という貧弱さ。その上外事警察は全くなく、この体制では日本の海岸線1万マイルにわたり、出入を監視することは、絶対に困難だといわれている。この弱点をついて、韓国、中国の本国を食いつめた連中が船員にばけて日本を訪れ、帰港地で上陸許可証をうけ、そのまま国内に逃げかくれてしまうのである。こうした密入国者は東京の場合一日平均3名位発見され外人登録法違反で検挙、強制送還されるわけだが、検挙すればまたそこに問題がある。かつて日本人であった彼らは本国そのものが二つに分れている。南北二つの朝鮮、中共に国府、そのいずれに送還すべきか、政治的には未解決になっているだけに入管としてはそのつど、結論を出していかねばならず、その判定には法と国際情勢の板バサミに痛みつけられている。こうして折角送り帰しても二度、三度と日本にもぐり込むのである。また送り帰すまでには横浜と大村収容所に一時収容するわけだが収容者の費用がかかりすぎて更に入管本来の仕事が制約されるという現状でもある。何はともあれ、警視庁に警察第二部公安三課というのがある。第三国人の総元締であるが、そこの渡辺課長でさえ、この問題には悩み抜き、人員の増強、捜査体制の確立以外に手はないとこぼしている。どうやら課長自身もノイローゼ気味のようだ。