イスラム国による邦人人質殺害予告に対する国内の信じがたい反応

イスラム国、ISISによる日本人人質二人に対する殺害警告について、早くも日本のオピニオンリーダー達が自分の意見を表明している。しかし、その内容は驚くべきものが多い。

まずは、「安倍首相のせいで今回の事件が発生した」という、何でも安倍批判に結びつけたがる一味の意見である。これは、まずは「安倍が悪い」という結論が先にあり、すぐに様々な評論家が理論づけしていった。

まずは田中秀征。「イスラム過激派に口実を与えてはならない」と題して、集団的自衛権の行使容認批判に結びつけている。何としても結びつけたかったのであろう。安倍首相が表明したのは、イスラム国の脅威にさらされながらも、その蛮行と闘う諸国への連携だ。それに対する田中秀征の主張は、「これからは反イスラムの国家と誤解されないように一層心がけていく必要がある」である。反ISISと反イスラムは同一でない。しかし言葉のトリックで、あたかも安倍首相の外交が反イスラムである事を印象づけようとしているのだ。

政治家では産経新聞が紹介した徳永エリ議員の発言。資金援助を大々的に発表したので過激派を刺激した、というのだ。彼女は、いじめっ子を刺激するからという理由で、いじめられっ子と仲良くしようとする子供を非難するのだろうか。また、「イスラム世界の国々は親日でした。日本は戦争をしない国、世界平和への希望の国だったからです」などと言って集団的自衛権などの政権の姿勢を批判しているが、田中秀征と同様、過激派のイスラム国と、通常のイスラム諸国を混同している。安倍首相が刺激したのはイスラム過激派であって、親日のイスラム諸国ではない。世論誘導のつもりなら、実に悪質だ。「親日でした」と過去形にしている所をみると、「日本は戦争をしない国、世界平和への希望の国だった」と思っていた人達がテロリストになったと考えているとしか思えない。

その他の著名人では天木直人。彼がブログで主張しているのは、要はこうなる事が分かっていたはずなのにどうしてテロリスト達を怒らせたのか、ということのようだ。今度の事件が安倍外交の失策によるものとして、テロリストの側ではなく、日本側に落ち度があると主張しているのだ。もし日本政府がこうなる事を予見して何もしないのであれば、そもそも日本が態度を表明しない事自体が第三国に口出しさせないという手段のために人質の誘拐殺人が繰り代れることになろう。また、天木直人は安倍政権の積極外交批判に論を進めているのだが、今回の件で政権を全否定しようとする姿勢は他の論者と同様だ。

他にも驚くほど、ISISの側ではなく安倍政権の側が悪いとする論調で満ちている。

さて、フランスで起きた風刺画家達への銃撃事件では、テロに対して「私はシャルリー」という標語を掲げ、300万人がデモ行進をした。テロ攻撃を受けた「シャルリー・エブド」は過激な風刺画を掲載してきた新聞社で、必ずしも多くの支持を受けてきたわけではない。それでも仏国民の多くが、一時的にせよ共感と団結を示したのは、テロに対しては断固として反対するという意思があるからだろう。

日本人の多くは、他国における人権侵害には無関心である。中国共産党によるチベットやウイグルにおける弾圧にも冷淡だ。そもそも北朝鮮に拉致されている人達に対する思いも悲しいくらいに薄い。

我が国で、人命優先と正義の貫徹との間での葛藤に最も心を悩ましているのは安倍首相であろう。北朝鮮に拉致された人達は、日本の対北政策の行方次第では、その命も危ないのだ。かつて北朝鮮による拉致自体を否定してきたような左翼連中が、今回の件で安倍政権を批判している姿は全く卑劣としか見えない。

日本は、野蛮なイスラム国と戦っているイスラム諸国に連帯する立場を明確にした。この立場は重要であり、欧米の政治家達も日本を多少は見直すであろう。同時に、日本国内で政府の側に責任があるかのような論調が多く登場している事に困惑するであろう。今回の事件は、我が国で誰がテロリスト予備軍であるか、または潜在的テロリストであるかを炙り出す効果があったようだ。