日韓基本条約に反対していた社会党

今年は戦後70年目の節目となるが、日韓基本条約締結から50年目ともなる年である。この条約は日本が譲歩に譲歩を重ねて、ようやく実現した条約である。日本が譲歩しなければならないなら、条約締結など先送りにしてもよさそうなものであった。しかし、日本の情勢がそれを許さなかった。米国の圧力もあったが、何より韓国に拉致されている漁民の早期解放問題と、国内で深刻な問題となっていた在日朝鮮人・韓国人の扱いや、密入国者の強制送還という問題を解決したかったからである。

さて、この条約が署名されたのは、昭和40年6月22日である。政府は日本国内の世論にも注意する必要があったが、社会党は昭和40年になっても反対をしていた。北朝鮮が反対していたからである。当時、韓国は朝鮮半島における正当な政権は、当然のことながら韓国にあると主張していた。韓国は憲法に朝鮮半島は韓国の領土である、と明記しているのである。だから、条約の管轄権の範囲が朝鮮半島全域に及ぶ事を韓国は主張していたし、北朝鮮はそれに反対だったのである。

社会党が日韓基本条約に反対していたのは、北朝鮮の手先だったため、北朝鮮の主張に沿った主張を展開する必要があったからだ。だが、そもそも、日本政府の立場自体、韓国の管轄権を38度線以南に限定するというものであったから、社会党が管轄権の問題で反対していたというわけではない。そうではなく、同じ西側陣営に属する日韓が手を結ぶという、その事自体が北朝鮮支持、共産陣営支持の社会党には許せなかったからである。

結局、日韓は条約の3条で「大韓民国政府は、・・・朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される。」と明記された。しかし、・・・の部分に、「国際連合総会決議第195号(III)に明らかに示されているとおりの」という不思議な文句が挿入されている。これは、朝鮮半島では韓国が民主的選挙で成立した唯一の合法的政権であるが、その選挙には38度線以北の住民は参加していませんでした、という注釈だ。これは、いわゆる戦後賠償を北朝鮮に対しても実施するかどうか、という議論を残す条文となっている。

話を社会党に戻すと、社会党は台湾が中国の一部だという立場を取るなど、一貫して共産主義陣営の側についた主張を続けていた。朝鮮問題では北朝鮮と密接に結びつき、国内の在日朝鮮人寄りの政治主張を繰り広げていた。このような党が、長く国会の議席の3分の1を占めてきたのである。だから、いかに世の中右傾化したとは言っても、日本の病理は根深いものがある。

社会党は冷戦崩壊後、平成元年に韓国を公式に訪問した。その際、一方的に日本側が悪者であるような内容の協議を当時の統一民主党と行なっている。在日三世の地位向上や民族教育の保証の協力を約束し、さらにはサハリン在留韓国人の問題解決、日本から韓国への技術移転と言った、今日の民主党政権の基盤となる約束をしているのだ。

社会党は村山内閣後に分裂し、壊滅したが、その勢力は脈々と日本の政界に引き継がれている。右傾化の流れや民主党の停滞、安倍政権の高支持率に騙されてはいけない。共産主義・社会主義陣営の末裔は、日本でしぶとく生き残っている。現在、在日朝鮮人・韓国人の数は減少傾向にあるが、それは帰化により日本社会に浸透している事を示しているのであり、彼らは社会党の松明を引き継いでいるのである。