イスラム国による邦人人質殺害予告の直後から、テロリスト達ではなく何故か日本政府を非難する主張が国内左派から噴出している。当初は事件後の衝撃から冷静さを無くしたが故の行動とも思ったが、何故か収まる気配がない。今回の事件で安倍政権を批判する事は全くの的外れなのだが、大新聞まで含めてこれまで政権批判が継続している。
この背景にあるのは、例えテロリスト達を利する事になっても、安倍政権を攻撃できればそれで良いという考え方である。つまり、邦人解放よりも安倍政権打倒を優先している。
どうしてそのような非常な発想になれるのかというと、憲法9条という宗教に支配されているからだ。戦後から続く、「東洋のスイス」を理想とした非武装中立教が、日本国民に深く浸透してしまっているのだ。
なぜ、憲法9条、中立の思想が今回の件と結びつくかというと、「日本は右傾化しているから、人質解放のために憲法改正して武力行使できるようにすべきだ」という場違いな不安からである。そもそも自衛隊が軍隊であろうがなかろうが、人質解放には無力であるのだが、憲法9条を有しながら国民の生命を守れないという現状に理論的な危機感を感じているのであろう。
だから共産党すら国家の非常時に政府の足を引っ張る事を避けているのに、フリーの立場にある多くの左翼が、人質をさらなる危機にさらしてでも安倍政権批判を続けるのである。
また、安倍批判勢力が、あえてテロリスト集団とイスラム教徒を混同させた上で「イスラムを敵にまわした安倍が悪い」という異様な主張を繰り返すのは、未だに中立思想に執着しているからであろう。
国際的な紛争に直面して日本がどのような態度を取るかというのは難しい問題だ。左翼が夢見るように、どの勢力も敵にせず、友好関係を結ぶことで軍隊のいらない平和な国家にする事が出来れば、もちろんそれは良い事だ。しかし、例えばロシアとウクライナの問題で日本は中立と両方同時の友好関係を保てるであろうか。
第二次世界大戦中、すでにナチスの蛮行が徐々に知られるようになってもなお、いくつかの国は中立を維持した。しかし、これは大国に挟まれ、自国が戦火に巻き込まれないようにという、小国の生き残りの選択であり、軍事同盟には参加しないという中立である。結果はスイスを除き、ナチスに侵略されてしまったのだが、反ファシズムの意見、という点では中立というわけでもなかった。
イスラム国、ISISは異教徒を対象に虐殺、ジェノサイドを繰り返している。この場合、日本は虐殺する側にも、虐殺される側にも味方しない、という事が有り得るだろうか。また、虐殺する側とも、される側とも両方に友好関係を築く事ができるだろうか。
安倍政権を批判する人達は、日本はジェノサイドを行なっている集団を敵とすべきではないと主張している。もちろんあからさまには主張できないから、イスラム社会とISISをわざと混同させて、イスラムを敵にまわすべきではない、という言い方で誤魔化している。
この地球上に、異教徒の女を性奴隷とし、男を虐殺する集団がある。日本は、日本の平和のためにこれら集団に対して中立であり続ける事が出来るのだろうか。