1983年9月1日、大韓航空機が樺太沖でソ連軍に撃墜され、269人が死亡する事件があった。最初は謎の行方不明事件という話であったが、徐々にソ連が撃墜したらしいという話になり、最終的にはソ連軍が撃墜した事が明らかとなった。
この事件は、個人的には非常にショッキングな出来事であった。共産党一家であった私は、当然東側陣営の支持者であり、ソ連はあこがれの国でもあった。ところがニュースでは、そのソ連が民間機を撃墜した悪者であるかのように扱っている。何かがおかしい、と思っていた。
撃墜されたのが大韓航空機である、というのも癪にさわる話だった。当時は今と違って、韓国は日本の保守政党と結びつき、日本の左翼は反韓であった。共産党も同じであり、全斗煥大統領などは左翼から見ると悪党の側であったのだ。そういった背景があったので、ソ連が悪くて韓国が犠牲者だという国内のニュースには非常に不満であった。
この当時は子供だったので詳しい内容に基づいて判断していた訳ではない。ただ、その後は、大韓航空機がわざと経路を逸らしてソ連の領空に入り込み、多数の民間人を犠牲にする事でソ連を悪者に仕立てたのだ、という陰謀論にすがっていた事を思いだす。
インターネットなど無かった時代だ。そのような陰謀論をどこから仕入れて来たのか。恐らくどこからでもない。赤旗を日常的に読み、共産党の色眼鏡で世の中を見れば、子供でもそのような考えは持つようになるのだ。
この時のソ連の指導者はアンドロポフ書記長。我が家ではレーガンや中曽根は軍国主義者であり、アンドロポフ書記長はソ連を改革する英雄だった。
その後、ソ連は威光を失い、没落する事になる。東側陣営の正義を徐々に失っていった日本の左翼は、80年代の北朝鮮工作員による日本人拉致の噂と1987年11月29日の大韓航空機爆破事件、そして1989年11月10日のベルリンの壁崩壊により、社会主義・共産主義からの脱却を強いられる事になる。そして彼等は従軍慰安婦問題や靖国問題など、反日路線へと邁進していく事になるのである。