核全廃したら露に侵略されたウクライナ

今から20年前の1994年、ウクライナは核不拡散条約(NPT)に加盟し、旧ソ連から引き継いた核弾頭1900発を廃棄する事を決めた。これは1994年の「ブダペスト覚書」によるものである。

ブダペスト覚書は、1994年12月5日にブダベストで開催された欧州安全保障会議(CSCE)の場で、アメリカ、ロシア、イギリスとウクライナの間で締結されたもので、当時世界第3位の核弾頭保有国であったウクライナのNPT加盟と、その核弾頭の全廃を取り決めたものだ。

ウクライナは核の放棄の代償として、自国の安全保障体制の確立を求め、アメリカやロシアはウクライナの領土一体性に関して軍事力を行使・利用しない事を約束した。

その後、核弾頭は1996年までに廃棄され、ウクライナは非核国家となった。また核弾頭の材料となる高濃縮ウランも2010年までにロシアに引き渡した。

20年前はクリントン政権時代で、まだ冷戦後でアメリカの国力が圧倒していた頃だ。核廃絶と引き換えにアメリカがウクライナの平和と安全を保障するという方式は合理的であったかもしれない。

今日、アメリカの軍事力は衰退し、オバマ政権になってからはアメリカによる平和秩序の維持が大きく揺らいでいる。2014年3月、ロシアは電撃的な軍事作戦でクリミアを一気に掌握し、3月18日の住民投票でクリミアのロシア編入を実現させた。その後はウクライナ国内でロシアの支援を受けた武装集団が武力行動を続け、国内は不安定な状況になっている。

核廃絶によって平和を手に入れたはずのウクライナが、領土を侵略され、戦争の危機にも直面しているのである。かろうじて主権を維持しているのは、まがりなりにも軍隊が残っているためである。

日本も無関係ではいられない。安全の保障と引き換えに核を放棄するというウクライナモデルは、もはや北朝鮮には受け入れられないだろう。平和の約束など全く信用ならないからだ。

地域の安定と平和はその時々の大国の力関係で決まる。日本の平和も、自由主義陣営と共産主義陣営の力関係、米国対ロシア・中国、朝鮮の南北分裂という国際情勢の中にあって、自衛隊が一定の国防力を維持する事で保たれているのである。決して憲法9条ではないのだ。