集団的自衛権問題~かくれんぼに例える

安倍政権の集団的自衛権に関する閣議決定が色々と議論されているが、そもそも諸外国では当然認められている権利を一つ一つ積み上げていかなければならないのだから日本は大変だ。

世界中の人々が参加するかくれんぼに例えよう。日本以外の参加者は、どこに隠れて良い。もちろん法律の許す範囲であり、人の家に勝手に入り込むなどの違法な事はしてはならない。

一方、日本からの参加者には特別な自主規制が課せられている。隠れても良い場所が細かく規定されているのだ。例えば、公園の樹木だけ隠れて良いとしよう。もちろん、それでは明らかに日本人だけ不利だ。

さて、それではあんまりだと言うので、阿部君が階段の下にも隠れる事が出来るようにしよう、と提案したのだ。ところが、他の日本人から「お前はスカートの下を盗撮するつもりか」と反対されてしまった。なので、「スマホは使わない」とか、「女子校の通学路は除外する」とか約束して何とか認められたようだ。他の国の人達は、そもそも盗撮は違法なので、そんな事は話題にもならないのである。

日本以外の国では、軍隊は国際法に違反しない範囲内であらゆる権利を留保している。日本だけが、行使出来る権利を逐一定めているというのが集団的自衛権を巡る議論の本質だ。

集団的自衛権の行使を認めるという単純な事でさえ、左翼のプロパガンダの前に苦戦しているのは、一つ一つ可能な事を追加しようとするたびに、いちゃもんをつけられ、条件闘争が必要となってしまう点なのである。そして「スマホは使わない」等の規制を次々に追加していく事が、日本があたりまえの国家となる事を何としてでも妨害する左翼にとっての腕の見せ所となっているのである。

繰り返すと、世界中の国々では国際法のルールを厳守するという事だけで済んでいる話が、日本だけが国際法から離れた世界で奇妙な自主規制を課しているのである。