ミャンマーのロヒンギャ族とイギリスの植民地支配

今月になってミャンマーからの難民、ロヒンギャ族の海上漂流が大きなニュースとなっている。各国が受け入れを拒否しているためであり、帰国しようにもミャンマーがそれを許さない。かなり多くの人数であるようだ。

ロヒンギャ族はイスラム教徒で、ベンガル湾に面したラカイン州に多く住んでいおり、仏教徒が多数を占めるミャンマーでは迫害を受けている。驚くことに、ロヒンギャ族にはミャンマー国籍がない。無国籍なのである。

ミャンマーでは1823年以前からミャンマーにいた人達を正式な国民として国籍を与えている。ロヒンギャ族はそれに該当していない、というのがミャンマー政府の主張だ。

ロヒンギャ族は、歴史的には古くからミャンマーにいたが、イギリスのビルマ侵略後に急増したとされる。上記の1823年というのは、第1次英緬戦争(1834-25)の前年で、この戦争の結果、現在ロヒンギャ族が多く住むラカイン州が英国の植民地となり、やがて英領インドの一部となった。

ビルマ人の立場からすれば、ロヒンギャ族というのは、英領インドの一部となったラカイン州で、イギリスの植民地支配の一環として連れてこられた外部の民族である。このため、ビルマ人はロヒンギャ族のことをベンガル人と言っている。しかしながら、1823年以前から居住していた人達と、それ以前から居住していた人達の区別は困難であろう。

イギリスは植民地支配の過程で、ビルマの人々を言語や外見で分類し、統治に活用した。また植民地の経験豊富なインド人を多数連れてきて植民地経営に利用した。これらイギリスの植民地支配は、ビルマ人の民族意識を覚醒させる事になった。

BBCサイトではミャンマー政府を激しく非難しているが、イギリスの植民地政策のことについては黙殺している。

ネットでは何故か第二次世界大戦中に日本軍がビルマに進駐した事が今日の民族問題の遠因であると指摘する記述を多く見かける。ビルマ族が日本軍に、ロヒンギャ族が英軍について戦闘したことが民族対立の原因なのだから、日本にも責任がある、という論理だ。しかし、これでは同じくビルマ族と戦闘した民族(カレン族など)がロヒンギャ族とは扱いが違っている事を説明できない。

欧米メディアでは、仏教とイスラム教の対立という形で報じる事が多いが、この問題は宗教問題ではない。ビルマ族とロヒンギャ族では外見が異なり「東南アジア」と「南アジア」の違いが明白である。つまり、宗教対立というよりは民族的な対立であるが、仏教徒がイスラム教徒を弾圧しているという形にしたい欧米メディアの意向が反映されているのであろう。

イギリスはじめ欧米各国が民主化の象徴として持ち上げたアウンサン・スーチーはこの問題に対して沈黙している。ロヒンギャ族の立場に立てばミャンマー族の反発を受けるし、ミャンマー政府と同じ主張をすればこれまでのイメージが崩壊するからだ。

ロヒンギャ問題は、イギリスによる植民地経営の結果として生じた民族問題であり、イギリスはミャンマー政府を非難するだけでなく、旧宗主国としてロヒンギャ難民を受け入れるべきであろう。

日本はミャンマーとバングラデッシュ両国の債権を放棄したうえで、さらなる援助と続けているが、今後はロヒンギャ族の問題を抜きにして援助を続けることは困難となるだろう。日本はミャンマーからの難民を多く受け入れていきているが、難民を生みだしている国に援助を続けているのも変な話である。