韓国を『南朝鮮』と呼んでいた日本共産党

かつて、日本共産党が韓国のことを南朝鮮と呼んでいた時期がある。戦後間も無い頃とか朝鮮戦争といった時期の話ではない。ソウル五輪が開催された1988年から1997年までの約9年間である。

日本共産党はラングーン爆破テロ事件が起きた1983年以降、北朝鮮との関係を断絶させていたが、同時に韓国の軍事政権を非難する姿勢は変えていなかった。政党としては北朝鮮と断絶していても、心情的には韓国より北朝鮮寄りの党員の方が多かったのではないだろうか。

関連記事:朝鮮総連の誕生と日本共産党

そのような中で、韓国でソウルオリンピックが開催されたのが1988年。北朝鮮は参加していない。日本共産党の古くからの党員は悔しかったに違いない。とは言え、時代の変化には逆らえず、オリンピック取材のため日本共産党の党員がビザを取得し、ソウル入りしている。

そして、その年に日本共産党は朝鮮半島に関する姿勢を一部変化させる。この内容は同年9月8日に「朝鮮問題についての日本共産党中央委員会常任幹部会の見解」として示されている。

この中で、朝鮮戦争について「アメリカによる侵略戦争だった」という主張を「北朝鮮がはじめた戦争」と修正するとともに、南北双方の同時国連加盟を主張している。また、日本共産党は、在韓米軍を南北統一の障害として撤退ありきという主張であったが、米軍撤退を前提としないという立場に変更した。それまでの北朝鮮寄りから、韓国寄りになったわけである。

ところが、である。同じ見解のなかで、「これからは韓国のことを南朝鮮と呼びます」と宣言したのである。それまで赤旗新聞では韓国という呼称を使っていたのに、突然「南朝鮮」という表記に変更されたのだ。

どうして、これから韓国に接近しようという時に「韓国」表記を止めて「南朝鮮」表記にしたのか不明である。北朝鮮とは断絶している、というのは表面上の話で、実は北朝鮮とは友党関係を続けていたのでは、と思われるリスクは考えなかったのだろうか。

どうも、「将来は統一国家になるが、現在は地理的に北と南をそれぞれ代表しているだけだから」という理由のようであるが、毎度のことながら共産党の主張を正しく理解するのは難しい。

ちなみに、翌年(1989年)2月27日の赤旗に掲載された読者への回答には以下のように書かれている。

(略)「朝鮮半島」というのは日本で古くから使われてきた一番日本人のなじめる呼び名です。「朝鮮」という言葉は、朝鮮人自身が使ってきた名前です。また、南朝鮮を「朝鮮」と呼ぶのはべっ視などではなく、南朝鮮にも「朝鮮」という言い方が今も残っています。(略)

良く分からないが、韓国のことを「南朝鮮」と言っても蔑視にはならない、という事のようである。

赤旗が「南朝鮮」表記を始めた翌年、天安門事件が発生し、ベルリンの壁が崩壊。1991年にはソ連が解体して、モデルとする社会主義は消え去った。

危機に直面した共産党は、1993年の河野談話などの流れに乗り、歴史問題で政府を批判していくようになる。しかし、さすがに「南朝鮮の元従軍慰安婦」では、歴史問題で韓国を味方につけることが出来なくなり、1997年からは元に戻って「韓国」と呼ぶようになった。