「正義」が語られない安保法制議論

国の安全保障というものは戦争という非常事態を避けるための政治の継続であり、戦時を想定しながらも、その活動は大半は平時のものだ。一般市民にとって、平和な時に国家の緊急事態を考えるのは余程の想像力が必要であり、しかも戦争というのはどのような形態で訪れるか不明であるから、具体的な危機感というのは持ちにくい。

このため、現在の安保法制の議論では、国防上の非常事態にどのように備え、抑止し、対処するか、という視点が重要であるのに、そのための手段や、発生するリスクだけに着目して本来の目的や意図を無視した不安ばかりが広まっている。

「アメリカの戦争に巻き込まれる」論もそうであり、本来は我が国にとって絶対に許す事の出来ない事態に対して協力して対処しようという主旨のものを、我が国が何の正当性もなくただひたすら戦争の道を歩むのだとばかりに勝手に解釈して激情してしまっている。

これは、自分達で捏造した歴史に勝手に逆上して、自分の脳内で怒りが怒りを呼んで手がつけられなくなっている韓国世論に似ている。

そもそも、集団的自衛権の行使容認には、「自分さえ無事であれば友人が傷ついていても無視して良いのか」という正義感が基調にある。日本側にその正義感がなければ、アメリカも日本の防衛に本気にはなれない。そうなってしまう事が反対派の最大のねらいなのである。

しかし、「正義」を前面に押し出す事は、そのための「犠牲」にも言及する事になり、現在の世論情勢では困難であろう。犠牲ばかりが着目されている現在の議論は、本来の目的を見失っており、無意味である。

また、正義は拡大解釈されてしまう恐れもあり、何でも正当化されてしまう危険性がある。このため法律では様々な制約を課しているのだが、それが逆に安保法制をわかりにくくしている。

さて、例え話は誤解も招くので良くないと思うが、今回は下手くそなSF物語を考えてみた。特に安全法制の例というのではなく、戦争と平和という一般的な話題についてである。

『宇宙人が人類侵略を開始した。UFOによる長年の調査の結果、軍事力で全人類を支配できると判断したのである。

大陸の主要な場所には侵略の拠点が築かれ、世界中の都市に対する攻撃が始まった。各国の軍隊は宇宙人と勇敢に戦い、地球防衛軍を結成し、お互いに協力して侵略者に反撃した。日本を除いて。何故か、日本だけは宇宙人の攻撃対象とはならなかったのである。

日本の学者たちは、憲法9条のおかげだと喜んだが、政治家は困っていた。各国から地球防衛軍への参加を要請されていたからだ。日本にとっては緊急事態ではなく、むしろ米軍基地を日本から追い出さないと、宇宙人が気付いて日本に侵略を開始するかもしれない。国論は二分した。

宇宙人対人類の戦争は、互角のまま双方多大な犠牲を出したが、終局が近づいてきた。地球防衛軍の司令官は、最終決戦の時と場所を決めた。地球防衛軍もボロボロだったが、宇宙人も相当な戦力を失なっており、勝算の見込みはある。日本が参戦すれば勝利は確実だが、日本の選択を尊重することにしよう・・・』