秀吉を怒らせたキリスト教徒の蛮行

今日はクリスマスイブである。日本ではサンタクロースとクリスマスツリーのイルミネーションの祭典であるが、キリスト教徒にとってはイエス・キリストの生誕前夜という聖なる一日である。

日本にキリスト教が伝わったのは1549年、イエズス会のザビエルによる布教が最初である。戦国時代の日本にあって、キリスト教の布教は進み、キリシタン大名が多数登場するようにもなった。やがて秀吉が弾圧し、江戸時代には更に踏み絵などの手段で弾圧が強化され隠れキリシタンとして地下に潜った、とされる。

豊臣秀吉は「バテレン追放令」を1587年に出した。内容は次のようなものだ。
1 日本は神国である。邪法を広める事は許さない
2 キリシタン大名が神社仏閣を破壊するのは許さない
3 バテレンは20日以内に帰国せよ
4 南蛮船の商売は継続できる
5 今後、仏法を妨げなければキリスト教国から来る事は自由である

上記の2以外はバテレン(神父)の追放と、それ以外の南蛮人への命令であり、日本の信徒を対象としたものではない。特徴的なのは2で、日本人を対象としたものだ。そして、その内容は、キリシタン大名が日本の神社仏閣を破壊していた、という事に対する怒りである。

戦後のマルクス史観に染まった教育では、「神の前に人は平等とするキリストの教えが、身分制を前提とした権力者に都合が悪かったので、秀吉らはキリスト教を弾圧した」と主張している。しかし、それは完全な間違いである。唯一神の思想に染まったキリシタン大名が、イエス・キリスト以外を神と認めない不寛容さで、寛容な日本の文化を破壊していたのが問題だったのである。

バテレンらが日本で牛や馬を食べていた、という点も秀吉には許せなかった。日本にはその習慣がなかった、という単純の話ではなく、馬は輸送の、牛は耕作にとって大切な存在であり、日本の生活基盤を脅かすものであったのだ。

大航海時代、スペインなどの列強はキリスト教を広めて現地の思想的文化を破壊し、現地の生産基盤や文化基盤を破壊し、植民地化していった。日本では食用でなかった牛馬を食する行為は日本の生活・文化を破壊し植民地化する過程だったのである。

更に見逃せない事がある。キリシタン大名は日本人女性を性奴隷として南蛮人に売り飛ばしていたのである。左翼教師が全力で隠蔽した事だ。商売で来ていたスペイン人と宣教師は別者だという言い訳は通用しない。キリスト教徒と奴隷商人は表裏一体であり、キリシタン大名というのは、キリスト教徒であると同時に日本人を奴隷として売っていた連中だったのである。

1597年、秀吉は布教活動を続けるバテレンに業を煮やし、26人のキリスト教徒を長崎で処刑した。処刑された26人は聖人として扱われる一方、戦後教育ではキリスト教弾圧を日本の黒歴史として教えられている。

しかし、当時の国際情勢を見れば、そして日本国内におけるキリスト教徒の蛮行を見れば、秀吉の命令はおかしなものではない。戦国時代にあっては、敗北した側の一族郎党は同じように処刑されていたのである。

当時、フィリピンはすでにスペインの植民地であった。キリスト教の布教を許せば、やがて日本が西欧の植民地となる可能性もあったのであり、秀吉は日本をすくった英雄と言える。

さて、長崎で処刑された26人は聖人として、ヨーロッパでは尊敬されているそうだ。それでは、同じ時期にカトリック教のスペインがオランダで処刑した多数のプロテスタントはどうなのか。

そもそも同じ時代にキリスト教社会でカトリック教徒がプロテスタントを弾圧した苛烈さに比べれば、日本人を奴隷として海外に売り渡していたキリスト教勢力を駆逐しようとした秀吉の行為は、全く穏当な理性の範囲内であった。