日本共産党が改名するとの情報が流されている。「日本大衆党」なんて具体候補まで出てきている。国民の共産主義アレルギーの払拭すべく、今年は69年ぶりに国会開会式に出席したそうである。
そんな共産党だが、かつて中国共産党は共産党じゃない、と主張した事があった。天安門事件があった時の事だ。中国は共産党じゃないのに共産党を名乗っている。ナチスは国家社会主義労働者党だが、社会主義じゃない。名は体を表さない!という主張だ。
逆の言い方をすると、日本共産党が、共産党を名乗らなくなっても矢張り共産党だ、という事になるのではないか?あるいは、今の党名のまま共産主義を放棄することだって可能なはずだ。
以下の記事は1989年7月18日の赤旗記事である。記事の意図とは別に、共産党は矢張り酷い党である、ということが伝わる記事である。
いまの中国の党は共産党とは無縁
ナチスも社会主義を名乗った日本共産党は、中国当局による民主化運動への血の弾圧にたいし、ただちにこれを「言語道断の暴挙」だと糾弾し、その後も社会主義とは縁もゆかりもない鄧小平の軍事先制支配の実態を批判しています。
しかし、意図的な反共攻撃は別としても、名前が「共産党」だから、日本共産党も同じではないのかと考える人もいます。だが、名が体を表さない例は世間にはいくらもあります。ヒトラーの「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)」も「社会主義」を名乗りました。
明らかなように、これは社会主義とはまったく異質のファッショ支配でした。ヒトラーは自分の党名に「社会主義」ということばを使いましたが、実際にやったのは本来の社会主義とは縁もゆかりもないことでした。
名前が「共産党」だからというだけで、日本共産党も中国と同じだと考えるのは的はずれであることを、この歴史的経験は雄弁に物語っています。
実施、中国の鄧小平らの言動は、本来の共産党とも、社会主義とも無縁のものとなっています。
武力鎮圧を命令した鄧小平は、それを実行した戒厳部隊の幹部を前におこなった六月九日の講話のなかで、「もし戦車でおしつぶしていたなら、全国的に善悪の判断をつかなくしたであろう」とのべました。
もちろん、事実は、日本でもテレビで中継されて大多数の国民が目撃したように、丸腰の人民を軍隊が襲い、野蛮な虐殺がおこなわれたのです。
目撃者の証言も多数あります。
「ある中国の知識人。『私が天安門広場に行ったのは三日の夜十一時。間もなく発砲が始まった。手をつないで兵士の前に立ちはだかった学生たちが撃たれ、何百人もバタバタと倒れていった。二台の戦車が猛スピードでこちらに向かってきた。戦車は広場の中を走り回っていた。戦車にひかれてペシャンコになった学生たちの死体を、私はこの目で見た』」(『ニューズウィーク』誌日本版六月二十二日号)
にもかかわらず、鄧小平が虐殺などなかったかのようにいうのは、鄧小平といえども人民の運動の武力弾圧を正当化できないことは知っているためでしょう。戒厳軍部隊の将校は、報道陣を招いた記者改憲でも「学生や大衆を絶対殺しておらず、また一人も車でひいて死傷させていない」といっています。
こんなみえすいたうそでしかみずからの行為を正当化できないところに、今日の中国の党・政府当局が社会主義の大義とは無縁の立場にたっていることが示されています。
そのことは、党中央委員でもない鄧小平が軍事委主席として軍事力をにぎり、党の最高責任者である総書記や国家の代表である国家主席を副主席として部下にしたがえ、党と国家のうえに君臨する軍事専制支配の体制をしいていることと一体のものです。
この根底にあるのは、「鉄砲から政権がうまれる」という思想です。「鉄砲」をにぎる者が君臨し、「鉄砲」をつかって学生たちを弾圧し、「鉄砲」によって権力を保持しています。
まさにいまの中国の党は「共産党」の名に値せず、「鉄砲政権党」というべきものになっているのです。
(下司 上記者)
天安門事件で共産主義の正体が暴露され、動揺した日本共産党の断末魔の叫びが良くわかる文章である。「武力弾圧するような共産党は本当の共産党じゃない!」という狼狽した叫びなのだが、この時はまだ、チャウシェスクのルーマニア共産党と親交を温めていたのである。