韓国の反日教育に嘆く60年前の社説

韓国で反日教育を始めたのは、朝鮮戦争が休戦(1953年7月27日)した翌年のことで、李承晩大統領が、反共と反日を同時に行うよう、韓国の教育機関に指示したのが始まりだ。当時の日本人の嘆きを、時事新報(昭和29年10月17日)の社説に見ることが出来る。

日韓共存を欲せぬのか〜反日教育さえ命じた李大統領

中共政府当局が、本年度中に日本漁業代表団を北京に招いて、漁業交渉を開くことを承諾したという報道が真ならば、東シナ海におけるわが漁業にとって、確かに国交のない相手であるから、正式の段取に漕ぎつけるまでは安心ができない。また先日の中ソ対日共同声明によって示された平和攻勢の一環であることも、疑う余地があるまい。けれどもこれが実現するならば、とにかく対日好意の実質的一証明に違いない。共産主義に対する好悪は別問題として、歓迎に値する動きと見て差支えあるまい。ソ連もまたこの例に倣うことを望まざるを得ない。

中共が漁業問題でこういう態度を示して来たのを見ると、日本人は誰でも、直に李ライン問題を対照的に連想せざるを禁じ得ないであろう。同じ非共産国として防共戦線を共に守っている筈の日本に対し、国民の食糧と生業に重要な地位を占める漁業を、韓国が李ラインなどという世界普通の主張を以て封鎖している暴状は、単にわが国として困った問題であるばかりでなく、余りにも非常識な態度だからである。中共の漁業会談が特別なのではなくて、韓国の喧嘩腰が度外れ過ぎるからである。

しかしいわゆる李ラインによって起された漁業紛争は、決裂以来満一年になる日韓交渉を再開して解決するようり他はない。然も懸案はそればかりではない。竹島問題について国際司法裁判所の判決を仰ごうとする日本側の提案に対しても、韓国側は拒否宣伝を流しているばかりで、正式な返事もして来ない。米国の対韓復興援助費の使途についえも、韓国は故意に且つ援助主の意向に反して、日本製品は買わぬと頑張っている。日韓貿易関係も進めることを渋っている。かくて日韓交渉再開設は、一年経っても一向実現の見込みもないのが現状である。

こんなにコジれた日韓関係に対して、最初から心配し斡旋して来たのは米国である。米国とそれぞれ極めて密接な関係がある上に、対共第一線に位する日韓両国間の関係がこんなに不和なことは、米国のアジア政策にとっても少なからぬ障害だからである。現にSEATO構想と併進させようとしたNEATO案が物になりそうにないのも、これが根因と云われている。そこで日韓交渉再開や援助費による対日買付について、米国の対韓態度は最近頗る積極的になって来たらしい。日本が交渉再開のために六項目の対韓提案をしたというような情報も、在日の金公使が帰国して来たというのも、皆米国の斡旋と関係がありそうに思われる。幸に米国の調停が成功して、交渉が再開されることを、望まざるを得ないのである。

けれども李承晩大統領の態度は日本に対しては勿論、米国に対しても依然として極めて頑強なように見える。米国側も相当に持て余しているらしいが、殊にわが国に対する態度は到底常識で考えられない程である。最も驚ろくべきことは、李大統領が先日、全韓の教育施設に対して、反共と反日の道徳教育を同程度に強調せよと指示したことである。反共の闘士を以て任ずる李大統領であるから、反共教育方針には不思議もあるまい。けれどもそれと同程度に反日教育を命ずるに至っては、正気の沙汰とも思えないのである。

李ライン、漁業、竹島、財産請求権、久保田発言、収容韓国人問題、対日買付等々、いずれもわが方から見て先方の主張は理不尽と感ぜられるものばかりであるが、しかしまた先方の対日交渉における駆引の材料と考えられぬこともない。けれども次代の韓国民にまで対日憎悪感を教え込もうとうする反日教育方針に至っては、問題は甚だ深刻である。

これは永久反日の方針である。即ち一衣帯水の日韓両国が、両立共存のできぬ不倶戴天の仇敵だということを、前提とせねば出て来ぬ政策である。言論の自由ならぬ韓国で公正な世論は表明されぬけれども、まさかこんな偏見を韓国民の大多数が以っているとは信ぜられない。恐らく李大統領の個人的反日感情の現われであろうが、共産陣営すら自由諸国との「共存」を合言葉とする今日、こういう独裁者を戴く韓国民の不幸を、気の毒に思うと共に、こういう危険な隣人に対しては、日本国民も警戒せざるを得なくなるのは遺憾である。