週刊紙に助けられた民進党

政治家が個人的スキャンダルで失脚するのは残念な事である。平成の歴史で強烈な印象を残しているのは宇野宗祐首相の愛人スキャンダルである。この影響で宇野首相率いる自民党は大敗した。鳥越俊太郎のスクープによるこの出来事以降、政治家には聖人君子ぶりが求められるようになり、特に女性スキャンダルは政治家生命を奪うものとなった。

山尾志桜里議員の不倫報道で、一部の識者から個人スキャンダルで政治家を批判するのは良くないという意見が出てきているのは、個人的には喜ばしい事である。鳥越俊太郎によって崩された昭和の伝統が戻るのである。政治がゴシップネタに左右されないのが、成熟した民主主義として必要だ。

だが残念ながら牧歌的な時代は終了した。現代では昔の保守的な道徳や倫理がかなり廃れているが、配偶者に対する不貞行為については、それほど大きな価値観の変化はない。夫人公認の妾も許されない社会である。配偶者公認であっても不倫が許容される事はない。

いくらマスコミや評論家が政治家の不倫に寛大になっても、有権者は様々な価値観を持つ集団であり、選挙の洗礼は避けられない。識者が政治家の能力を見よと言っても、選挙民に嫌われてしまったのでは政治家は続けられない。

もし、今回の件で山尾議員の現場写真を撮ったのが中国の工作員で、その他には誰にもバレていない状況で彼女が民進党の幹事長になっていたらどうなっていたか。あるいは不倫の相手が北朝鮮のスパイだったらどうなのか。

中国や北朝鮮といった敵対国家だけではない。アメリカやドイツの工作員だって、有力政治家のスキャンダルを握ったら何をするか分からない。暴力団に知られる方がまだましなくらいだ。

その意味で週刊文春がスクープしたのは民進党にとっては救いであった。というより、日本が助かったと言うべきであろう。個人的にはプライベートな時間を晒して売り上げる週刊紙や夕刊紙は嫌いだが、変な意味で日本の浄化に役立っていると言える。

本人達にとって週刊紙でバラされるのは脅威だが、国民にとっては当人と海外工作員や暴力団だけが知っている政治家の不倫が脅威である。今回の事件を機に、不貞を隠している政治家は早いところ公開した方が良い。