今年は大政奉還から150周年の年である。徳川慶喜は政権返上にあえて応じる事で徳川家の延命を図ったが実現せず、明治維新を迎える事となった。
民進党代表の前原誠司が打ち出した、民進党所属議員を小池百合子の新党から立候補させるという方針は、全く驚愕の奇策であったが、何故か150周年となる大政奉還を実現した徳川慶喜を思い浮かべてしまった。両者にあまり関連性はないのだが、策士策に溺れるということで連想してしまったのだろう。
それにしても、今回の騒動に対しては悲しさを感じてしまう。前原誠司というトップのクーデターに対し、民進党の議員が猛反発するかと思いきや「希望の党」への合流に賛成したというのだ。プライド、矜持、意地、信念といったものはどこに行ったのか。
これまで民進党議員に対しては反発する感情ばかりが強かったが、今回は呆れ果てたを通り越して悲しみの感情だ。これが同じ日本人の行動だろうかという失望だ。
前原代表の方針に特に異論がなかったという事は、おそらく民進党内部で解党論がかなり浸透していたという事だろう。それはそれで結構なのだが、選挙で勝てそうな小池新党に皆で仲良く移るのでは全く解党出直しにはならない。
そもそも小池都知事にも弱みはあるはずで、だからこそ民進党からリクルートする必要があるのだが、ハッタリと交渉に関していは前原代表もその他の政治家もまるで歯が立たず右往左往するだけだ。
民進党は気の毒なくらいに混乱している。内部のことは分からないが、都議会選挙で見せ付けられた小池氏の圧倒的強さに加え、山尾議員の不倫報道が決定的にとどめを刺したと思われる。
衆議院の電撃解散については、反安倍の急先鋒である日刊ゲンダイが繰り返し予言してきた事であり、民進党が望むところであったはずであるから解散自体は戦意喪失の理由にはならない。
どうせ奇策でいくなら、直前に「希望の党」合流を撤回してはどうか。小池新党は人数を揃えられず、民進党の脅威とはならなくなるかもしれない。参加させてもらえる、もらえないといった屈辱を経て議員になるよりは、それくらいの意地は見せて欲しいものだ。