歴史に登場する人物の物語は、多かれ少なかれ後生の人々の想像力によって形成される。遺された資料で確定できる事実は限られているし、まして性格などの特徴は同時代人でも正確に把握されない事があり、日本では特に明治維新以前の歴史人物は後生の歴史家や民衆の願望で人物像が決定されてきたと言って良い。
既に人物像が定まった歴史人物であっても、その時代に創作された物語の影響を受け、変化する事もある。戦国時代の武将などは、ライトノベルやアニメ、漫画、ゲームの影響により、世代間で違ったイメージを持つ場合もあるだろう。個人的には「今川氏真は無能」など戦国武将のイメージはコーエイの「信長の野望」による影響が強い。
さて、戦国時代の黒人奴隷、弥助(ヤスケ)は、史料がわずかしかないが、信長に仕えた黒人武士という事で漫画や小説など過去の創作物に登場しており、既に史実とは無関係な人物像が形成されつつある。近年では「日本スゴイ」系の人達が「日本では黒人も活躍していた」という自己満足、そして海外をマーケットと考え黒人社会に媚を売る会社による宣伝などで、ヤスケが英雄化されている。
それがついにハリウッド映画にまで進出する事になるのだが、黒人やポリコレ界隈から「日本で活躍した黒人サムライ」という虚像が史実のように語られるようになっている。
戦国時代の黒人奴隷、ヤスケの人物像については、史料だけでは決定できず、現代では上記のように黒人社会の願望とポリコレによる黒人善人化、そして日本ホルホルと海外マーケトによる宣伝が大きく影響した人物像が固まりつつある状況だ。しかし、現存する史料からは他の解釈も可能だ。
例えば、『弥助は残忍な性格であり、戦場では捕虜であっても容赦はなく、殺害を楽しんでいた。剛腕で周囲と喧嘩が絶えず、また農民を襲い若い女を犯す強姦魔であったが、見世物としての価値を重視していた信長の保護もあり、他の家臣からは恐れられていた』という仮説も、弥助が信長に忠義を尽したサムライ精神を持った英傑であった、などという虚像と同じくらい成立するのである。
また、逆に『弥助は奴隷意識が抜け切れず、いつも主人を恐れ、おどおどした性格であった。その異様な外見から、信長の行く先々で南蛮の珍しい動物とともに鎧を着た黒人武者として自慢され、奇妙な存在として注目されていた。刀もまともに使えなかった弥助は、本能寺の変で処刑される事もなく、南蛮人に奴隷として返却された』という説も同じ程度に成立する。
これまで日本の歴史キャラは日本人の想いだけで人物像が形成されてきた。ところが国内コンテンツの海外進出に伴い海外ファンの嗜好も影響するようになった。結果、白人受けするためにウィリアム(三浦按針)を主人公にしたり、黒人受けするためにヤスケを登場させたりするようになる。そして近年のポリコレ旋風の影響で、日本の歴史に登場した黒人奴隷が、黒人サムライとしてヒーロー扱いされている。
現代ポリコレが、証明できない過去の歴史を創造する過程を我々は目撃しているのである。