ゴーストオブツシマの映画化には反対だ

ソニー・インタラクティブエンタテイメントという、長い名前の会社が、昨年発売されたゲーム「Ghost of Tsushima」を映画化すると発表した。アメリカの映画となる予定だ。私はこのゲームの映画化には大きな不安を感じており、率直に言って大反対である。

理由は以下の通りだ。

  • 元寇の残虐性を描く事により、友好国であるモンゴルとの関係が悪化する
  • 日本人気の嫉妬に発狂した韓国による反日行動が活発化する
  • Ghost of Tsushimaのサムライ観は武士道を歪めて伝えている
  • 日本の歴史ドラマが米国ポリコレに汚染される

以下、説明する。

元寇の残虐性を描く事により、友好国であるモンゴルとの関係が悪化する

史実ではモンゴル軍による残虐な行為があった事は事実であるが、ゲームではその残虐性が強調されている。これは主人公が掟に背いた行動をする上で必要な背景となっているのだが、モンゴル人の立場からは不愉快な設定であろう。現在、モンゴルと日本の間は特に感情的な対立はないが、映画を契機に不毛な論争が発生する可能性は否定できない。またアジア人ヘイトが話題となっている中、現代版の黄禍論が復活するような事になれば大問題だ。

日本人気の嫉妬に発狂した韓国による反日行動が活発化する

海外の有名人が和服を着ると「文化の盗用(Cultural appropriation)」だ、アジア人差別をやめろ、と騒ぐ連中がいる。差別反対のリベラルを装ってはいるが、実は日本の文化が海外で注目される事が嫌で仕方ない韓国人である。ゴーストオブツシマの映画で日本文化が海外で人気になると、韓国人が嫉妬で日本ヘイトの活動を展開してくる事は容易に予想できる。

おそらく、韓国は文化コンテンツで対抗してくるだろう。韓流ドラマやゲームで日本を悪者にする作品を創作し、反日宣伝を活発化させる他、「文化の盗用」論理で映画を非難すると予想される。映画の制作過程の段階から様々な介入もするだろう。そして冗談抜きで対馬は韓国領だという宣伝も忘れないだろう。

Ghost of Tsushimaのサムライ観は武士道を歪めて伝えている

このゲームは主人公の境井仁が対馬の民を救うため、武士の誉れを捨て、闇討ちや毒殺などを使う暗黒面に落ちる事が重要な設定となっている。しかしこれは武士道の間違った解釈に基づくものであり、サムライの本当の姿が歪められている。

平安時代の武将、源頼光は毒の入った酒を飲ませて酒呑童子を討った。神話の世界では、スサノオノミコトがヤマタノオロチを討つ前に酒で酔い潰している。木曽義仲は平家軍との戦で牛を使ったし、源義経も奇襲を得意としていた。正々堂々と正面から戦うというのは武士の誉れでも何でもなく、どんな手を使ってでも戦に勝利する事こそが名誉なのである。そもそも元寇でサムライは小舟に乗ってモンゴルの船団に夜襲攻撃を仕掛けていたのだ。

武士が名乗りを挙げて一騎打ちのような戦いをしていたのは、手柄を明確にし、恩賞を得るためである。ところがゲームでのサムライ達は誉れに拘る間抜けな田舎侍であり、間違ったステレオタイプを描いている。ゴーストオブツシマの世界観では源頼光はじめ日本人にとっての英雄が卑劣な存在となってしまうのだ。

日本の歴史ドラマが米国ポリコレに汚染される

現代のアメリカ映画界はポリコレに汚染されており、米国人が日本人やモンゴル人を描くのは相当に面倒な話に巻き込まれそうである。アメリカのアニメ業界では、アジア人や黒人の登場人物に白人の声優を採用しただけで猛批判を浴びるのだ。

映画にどの程度のファンタジー要素を入れるのか不明であるが、多様性重視のために相当異質な内容になるのではないだろうか。ゲーム開発会社は黒澤映画を尊重したらしいが、七人の侍をリメイクした最近の西部劇では当時奴隷だった黒人がガンマンとして活躍する映画となった。鎌倉時代のサムライも、白人リベラルのポリコレ的ステレオタイプとして、現代的な偏見を生み出す事になるのだろう。