【ポリコレ暴走】Wokeが推すEquity概念、Equalityとの違い

バイデン政権はEquityという用語を頻繁に利用している。Equityとは公平・公正という意味である。似た概念にEqualityがある。日本語だと平等と訳されるので、公平とは違う意味のようであるが、「結果の平等」ではなく「機会の平等」と捉えれば、Equityと類似した考えである。

アメリカでは人種差別は残るが、チャンスに差別はなく、「機会の平等」という観点からは極めて公平な社会である。このため、アメリカン・ドリームを語る際にEquityとEqualityに違いは無い。しかし近年ではリベラルがEquityの意味する公平をポリコレ風に解釈し、バイデン政権がそれを強調するようになった。

誰にでもチャレンジの機会があるのが公平の本来の意味であるが、米国のリベラル派は挑戦に至るまでの、人々の才能や努力に影響を与える周辺環境を揃える事こそが公平であると考えている。つまり、治安の良い街の裕福な家庭で恵まれた教育環境の中で育つ白人と、犯罪が多い街の貧困な家庭で警察に怯えながら育つ黒人では、そもそもスタートラインで公平ではない、という主張だ。彼等にとってEquityとは、そのような環境や条件の違いを無くし、勝負前の状況を同一に揃える事を意味するのである。

上記のようなEquityは、逆差別と呼ばれてきた各種の黒人優遇政策を正当化するものである。人種だけではなく、女性やLGBT優先政策も含まれる。アメリカン・ドリームを支えてきた機会の平等ではなく、結果の平等という出口と、Equityという入口に到着する前の準備段階での平等を推し進めるという思想だ。

Equityは、主として人種間の平等、Racial Equityとして語られており、バイデン政権が発表したインフラ計画でも言及されている。まだ過激にEquityを実現させる政策というのは見えていないが、任期中に支持層に対して目玉となる政策を出す必要がある。

アメリカではポリコレ蔓延とともに、従来のリベラル派が左翼化の傾向を強めている。このような人達は、Woke (ウォーク)と呼ばれている。左派からは良い意味で、右派からは蔑称として使われているようだ。