学術会議の権威は科学に対する信頼に依るもので、必然的に自然科学分野に限定される

アメリカの学術会議(アカデミーズ)は政府から独立した非営利組織であるが、財源の85%を連邦政府に依存している。その中には補助金も含まれるが、連邦政府との契約に基づき実施する研究や調査の対価である。

政府が何かの業務を民間組織に発注する場合、本来は競争入札で業者を選定する。政府の仕事を請け負う業者を競争なしに選定していけば、政治は必ず腐敗するからである。競争ではない随意契約は、大規模災害などの緊急時や、一社が独占する技術が必要な場合など非常に特殊な場合に限り例外的に認められる。

連邦政府の各種機関がアカデミーズに業務を依頼する場合、それは随意契約である。NPOであろうと、本来は競争で業者を選定しなければならず、実際に政府が調査研究を民間に発注する場合は競争入札である。にも関わらずアカデミーズは特権的に直接指名で政府と契約し、お金を貰っているのだ。繰り返すが、アカデミーズは日本学術会議とは異なり、非政府組織であり、随意契約は特殊な事例だ。

なぜアカデミーズが競争なしに政府業務を受注できるのかというと、それはアカデミーズが有する科学分野での権威の高さであり、政府機関が求める高度な業務を最高峰の品質で応える事が出来るという信頼感である。そして、その信頼感がどこに由来するかというと、科学に対する絶対的な信頼性である。

西洋人の科学に対する信頼性は、キリスト教と両立している宗教と言っても良い。それは産業革命を成功させ、他文明圏に対する白人社会の圧倒的優位性を確立させた。科学はイデオロギーとは無縁であり、共産主義者だろうがナチスであろうが、どんな思想でも1+1は2であり、絶対的な正解を提供する。但し、高度な話になると大学レベルの知識でも追い付けず、学術会議のような天才達の集団を信じなければならなくなる。

日本学術会議は人文系の学者を含んでいるため、科学に対する信頼性では権威を築けない。政府組織である、という点だけが日本学術会議の権威を定めているのであり、米国のアカデーズが持っているような科学への信頼をベースに成立する組織ではないのである。

米国アカデミーズは、政府の軍事研究の依頼にも応える。NGOだから研究を受託して財源としなければならないからだ。それでも政府に忖度するかというと、そうではなく独立を維持している。繰り返すが、科学への信頼が支えているからである。昨年、トランプ大統領が武漢コロナウイルスを軽視する態度を見せていた時に堂々と批判できたのは、科学に立脚する自信があったからだ。

日本学術会議は人文系の学者を切り捨てるか、あるいは廃止すべきだろう。