密入国露見を恐れていた在日朝鮮人

日本が主権を回復した1952年、在日朝鮮人の扱いは政権の課題であった。日本国政府は外国人登録法(1952年4月28日)により、期限(1952年10月28日)までに在日朝鮮人に対し外国人登録する事を定めた(実際には切替)。

日本政府にとっての狙いは不法滞在の取締りと犯罪の抑制である。密入国と朝鮮人犯罪は当時の日本にとって頭の痛い問題であったのだ。

これに対し、当時の在日朝鮮人社会は強烈な反対運動を展開した。その理由の一つが、不法入国がばれる事であり、犯罪歴が明らかになる事による強制送還である。これは、民戦系在日朝鮮人が日本国政府に対して1952年10月23日に提出した、外人登録切替えに対する6条件(以下)から読み取れる。

  1. 民戦は現在すでに密入国している二十万の朝鮮人をかばうために登録拒否運動を行っていると伝えられているが、これを法務省で取消すこと
  2. 登録は徴兵調査でないことを表明されたい
  3. 治安機関の登録証明書検査の態度を改められたい
  4. 期日までに登録出来ない者については事情を考慮の上罰則適用主義を緩和されたい
  5. 登録証明書に写真をはらないで済むようにされたい
  6. 入管令に貧困層で国家の負担となる者は送還するとあるが特に悪質者以外には適用されないことを確認されたい

民戦とは、在日朝鮮統一民主戦線の略で、北朝鮮系の団体である。日本共産党との結びつきが強く、連携して日本国内の治安を掻き乱してきた。

当時、日本国内には20万人近い密入国者がいたが、朝鮮人社会は在日外人登録の切替えにより密入国者や犯罪者があぶり出しになる事を恐れていた。このため、民戦だけではなく民団(韓国系)も反対していた。

上記6条件の一つめは反対運動と密入国者擁護が別のものであるとの主張であるが、では一体何故反対したのか。二つめの条件は韓国による徴兵に利用されるものという主張であるが、朝鮮戦争も停戦後であり、非現実的な言い掛かりに過ぎない。正直なのは5番目の写真不要にせよとの主張だ。当初から登録証を偽造するつもり満々である。

この6条件に対し、当時の木村法相は、この登録によって強制送還する事と徴兵の資料にする事は絶対にないと回答した。その後、外人登録の切り替えはスムーズに進む事になる。

ところで在日外国人登録と韓国の兵役については、「余命3年時事日記」というブログが取り上げ、今後は在日韓国人にも兵役が課せられると主張しているが、果して技術的に可能なものであろうか?日本は60年前の木村法相の約束に縛られる事になるのではないだろうか。