昨日の記事に続き、在日朝鮮人の登録切替えの話を続ける。ただし今日は参考資料として昭和27年(1952年)10月15日の時事新報の記事のみ引用する。
朝鮮人「不正登録」と闘う女性
65万といわれる在日朝鮮人の全国的な登録拒否闘争は既報のように約十万と推定される密入国朝鮮人と北鮮系朝鮮人などが中心に脅迫、事務停滞、一括申請などの戦術に出ているが、これに先立ち廿五年度に行われた第二回登録切替えのさい占領下という微妙な情勢下でこの事務を扱っていた荒川区役所の一女性吏員があの手この手で攻め立てる圧力に屈せず不正登録を拒み続けた事実が最近判明、今回の切替えでも早くも一部地域で朝鮮人の圧力に押され「廿八日に迫った締切りを延期しなければならぬ」と悲鳴をあげている所もあるおりから関係者を感激させ、この女性を表彰する話がもち上っている
脅しスカしの手 アイクチと十万円
自宅まで狙われ拒みとおす
荒川区役所の小松さん
話題の女性は荒川区役所総務課勤務小松シマさん(40)ですでに同区役所所に十年間勤めている人、廿五年三月に行われた第二回の登録切替え当時は占領下でもあり朝鮮人の圧力は今度の場合よりはるかに強く、第三国人という「特権」をふりかざして高圧的に出て、この手がきかぬとみると今度は係員の買収に取りかかり、このため都内では板橋、台東、墨田、杉並などの区役所で数百名の不法入国朝鮮人にニセの登録書が出されたほか全国で約五万名に上る二重登録が行われてしまった。
このような情勢の中で荒川区役所でもこの登録事務を扱っている文書係にはなり手がなく、ついに女性ではあるが勤務成績のよい小松さんがただひとり選ばれたところ予想された通り廿五年三月から始まった登録切替えには他の区役所よりも多くの圧力が小松さんの身の上にかかってきた。
毎日自宅から役所への通勤の往復、役所の出入り口などにはいつも不正登録証を出させようとする朝鮮人が待ち受けて脅したり、スカしたりの運動を続けた。しかしそのつど小松さんは「仕事は役所内でします」と相手にしないで押し通した。
すると今度は小松さんの自宅に一夜六名の朝鮮人が押しかけ「自分たちの知っている者の中に三名の密入国朝鮮人がいるが何とか登録証を出してほしい」とはじめ新聞紙に包んだ約十万円ほどの札束を小松さんの目の前にさしだした。
小松さんは即座にこれを断わると一同はこんどは上着の内ポケットに手を突っこみアイクチか何かをつかんでいる様子を示し「明日の太陽が見られると思うと飛んだ間違いだぞ」と脅しにかかった。シマさんの家では男手は夫の鉦太郎=現荒川区会副議長=さんだけで、たまたまその夜は運悪く夫は外出で、他には八十を超えた老母独りだけだったが気丈なシマさんはガンとしてこれを拒み続けたためついに業を煮やして一同は帰ってしまった。
この荒川区には現在4300名の登録された朝鮮人がおり、中には先般のメーデー事件、岩之坂上派出所事件その他で首謀者が検挙されているほどの過激分子が集っていた所だが、この事件以来これら朝鮮人の間で「荒川区役所はヤバイ(あぶない)」という情報が流れ、密入国者は登録証の不正交付をこの区役所には頼まなくなったと言われている。
小松さんはその後この事実を秘めていたのが最近当事者の耳に入り入国管理局や荒川区長などの間で同女を表彰しようという話が進められている。
当然のこと
◇小松シマさん談 当然の事をしただけです。朝鮮の人達はよくああいう手を使うので別に仕返しが怖いなどと考えた事はありません。家には三、四回押しかけてきて登録証を作れと公然と持ちかけてくるのです。仕事の話は役所でしましょうといつも断わり続けてきました。
表彰します
◇東京都特別調査課山田係長談 戦後二回目の登録切替えでは係員が弱腰のため気の荒い朝鮮人に脅かされたりすると、言うなりになった事が多く、そのため期間を延長したり不正登録証を出したりする結果になった。登録係を女一人で受持った事はその点非常に危険だったがよくやってくれたと思う。当然何らかの形で表彰しなければいけないだろう。
◇村上荒川区長談 事件は前区長時代で私は何も聞いていませんでしたが、男の人でも脅かされたり、金の誘惑にはとかく負けがちになるものですが女性の身でよくやっとと思っております。
なお、句読点は現代風に改め、平仮名の連続は漢字に書き換え、一部の明白な間違いは修正してある。