不正登録で密入国者が混じってしまった在日社会

昨日のブログ記事、朝鮮人「不正登録」と闘う女性は時事新報の引用だけだったので、今日はそれをもとに自分の意見を書く。

時事新報は福澤諭吉が1882年に創刊したもので、明治時代を分析するには極めて重要な歴史的メディアである。ただ、戦前の歴史的価値が高過ぎて、戦後1955年に廃刊になるまでの話題は極めて少ない。しかしながら、先日の記事にもあるように、戦後の歴史を研究する上でも非常に貴重な存在である。

さて、昨日引用した時事新報記事から、以下のような当時の状況が見えてくる。

一つには、戦後GHQの占領政策の下で2回の外人登録が実施された事、独立した1952年に3回目の外人登録を実施した事である。ちなみに朝鮮人は7年間に3回も登録が実施された事に文句を言っていたが、本来なら年に一回は実施すべきであろう。

第二に、外人登録に対しては朝鮮人の妨害が激しかった事である。戦後約170万人の朝鮮人が半島に引き上げて行ったが、その後の李承晩政権や金日成政権による独裁政治と自国民への大量粛清、及び1950年に勃発した朝鮮戦争を嫌い、膨大な数の朝鮮人が日本に密入国してきた。これら朝鮮人にとって外人登録は強制送還に繋がるため、実力をもって妨害していたのだ。また、犯罪者も同じであり、外人登録によって強制送還の対象となる恐れがあった。

記事では密入国者を10万人としているが、他の記事では20万人という指摘もあった。おそらく10~20万人であったのだろう。

第三に、多数の不正登録があり、日本人の役人もそれに協力していたという事である。記事の女性は不正登録を拒否した、という事でニュースになってしまったのだが、記事にあるような朝鮮人の脅迫や買収によって不正に手を染めた役人が多数いたであろう事は想像出来る。何しろ戦後の困窮の時代である。いくら日本人が正直な民族だと主張しても、ある程度の割合で不正に手を染める人間はいるものだ。当時の新聞では不正登録に協力した区役所職員逮捕の記事がいくつかあるが、氷山の一角であったろう。

主権回復直後の日本の行政に完璧を求めるのは無理な注文だ。そもそも現代日本においてすら役所の仕事はずさんなのだ。戦後になって日本に密入国して摘発の逃れた朝鮮人が、ニセの登録によって戦前戦時中から日本にいた朝鮮人に化け、日本社会に在日朝鮮人として定着していった事は歴史の事実であると言えよう。本当に皇民として戦前戦時中から日本にいた朝鮮人には迷惑な存在だったであろう。

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