韓国の不法占拠後に消えた竹島のアシカ

韓国人は竹島のアシカを日本人が絶滅させたと思っているらしい。今年7月29日の韓国のニュースサイトNEWSISでは、「日帝強占期に絶滅させた独島アシカをキャラクターにして」云々と述べている。

ところが、アシカは日本による朝鮮統治が終了した戦後になっても、竹島に存在していた。これはネットで調べれば多くの証拠が見つかる。以下は昭和26年11月24日の朝日新聞の記事『日本へ還る無人の「竹島」怪奇な”アシカ”の群』の一部である。

これがかつてはアシカ、海草、貝類の漁場として隠岐島民のドル箱だった島だろうか。マストと見間違った西島の頂上は、まるで槍ガ岳を思わせるようで、真直ぐ天を指している。高さは海抜三百八十一尺、東島は二百二十六尺といわれており、風化した安山岩と玄武岩がカサカサに覆っている。

両島の間にある長さ約百メートルの海峡には大小無数の岩礁。東島のすぐ東側から回り込むと、すぐ左横に直径十メートルある大きなホラ穴が口をあけ海水が奥に流れ込んでいる。

これが有名な火口底なのだ。一木一草もない絶壁で、とりつくシマもない。このあたりの岩礁は初夏のころにはアシカが群集し、産室になることで世界的にも有名である。

西島に進むと、黒い2メートルもあるアシカがズボッと波間に現れ、弓なりに身体をそらせるとふたたび海中にもぐり込んで行く。水門のようにそそり立つ五徳岩から西島の北側にかけて、次第にアシカの姿がふえて行く。ウォツウォツというなき声が、この島の怪奇なフンイキの中ではうすら寒くまた気味わるい。五、六十頭はいるようだ。

これは同年11月14日に現地に訪れた朝日新聞記者によある記事である。ちなみに記事のタイトルで「日本へ還る」とあるのは、同年9月8日のサンフランシスコ講和条約により、日本の漁業が禁止されたマッカーサーラインが廃止される事が決定し、竹島周辺で漁業が再開できるようになった事を背景としている。国民は講和条約が発効する翌年4月28日を心待ちにしていたが、その間、突然に李承晩が竹島の領有権を主張する李承晩ラインを設定する事になる。

さて、近世に日本がアシカを乱獲したのは事実だが、それでも1941年にはアシカ漁を中止している。その後は上記の記事にもあるように、竹島はアシカの繁殖場として貴重な島であった。竹島のアシカは1970年代には絶滅したようであるが、理由は諸説あって定かではない。しかしながら、日本はアシカ漁の再開を出来ず、韓国による不法占拠の時代に絶滅した事は確かである。