東京新聞 昭和27年5月17日 社説『朝鮮人問題をどうする』

引用のみ。コメントは後日。

独立後最初の対韓送還船山澄丸は四百十名の送還朝鮮人をのせたまま、韓国当局から上陸を拒否されて内地に引き返した。韓国側の拒否の理由は明確ではないが、出入国管理庁の推察するところでは、これら韓国人が韓国籍を正式に取得したことを法的に確認し得ないというのがその言分らしい。平和条約発行前まではこのような送還を受け入れていたのに独立を取得した後において、急に態度を一変したことについては、もちろん在日朝鮮人の国籍およびその日本における処遇に関する協定が不調に終ったことが大きな原因であるには違いないが、このほかに在鮮日本財産の請求権や漁業権の問題をからめているのではないかと考えられる。

すなわち、日本にとっては在日朝鮮人の問題は生活上、人口問題上からばかりでなく、一部の急進分子は治安の上からみて非常に危険な存在となりつつあり、これが処置は日本の内政上緊急の問題である。日本当局が困っているということを韓国側が知らぬわけはないから、この問題を利用して他の懸案を有利に展開しようという考えを韓国側が持っているのではないかとの推察さえ生れざるをえないのである。このことは昨年十月から東京で行われてきた日韓会談の席上で韓国側が、日本のポツダム宣言と同時に在日朝鮮人は韓国籍を正式に取得していると主張したのをみれば、最近の主張との矛盾が明らかになる。

はなはだ遺憾なことだが、敗戦後は「日本人ではない」と言い張って連合国の列に入らんとし、独立回復後は「日本人である」として権利を主張するようにみえる。

在日朝鮮人の数は登録されているもの約六十万人のほかに未登録密入国者を入れて七十万とも八十万ともいわれえちるが、その約三分の一は定職を持たず、職業を有しているものでもの大部分は生活困窮者で、現に生活保護法により扶助をうけているものが約六万ある。しかもなお、半島の戦火をのがれ日本に生活のよるべを求めて密入国するのが、月平均百人はあるという。

もとより日韓両国は歴史的にも地理的にもその関係が極めて深く戦前戦時を通じて朝鮮人が日本に寄与した産業上の協力は決して小さいものではない。しかし終戦と同時に一部の態度はガラリと変った。日本人にもその傾向はあったが、特にかれらは従来の生業を捨て、権利を追求し、日本人たるの法律義務から逃れていわゆるヤミ利権に走るものが多かった。次第に日本の産業経済が回復し、国民生活が常態に復すると共に、これらの多くがたちまち生活のキズナを失うことに至ったことは当然である。しかし当然であるといってこれを放置することは日本政府としてはできない。温良なる人々に対しては日本国民と変らぬ処遇を与えて来たし、これからもそうでなくてはならない。

けれども、数十万人のうちには決して温良といえない分子がいる。その数は必ずしも多くはないであろうが、いわゆる北朝鮮系の共産分子が独特の祖国防衛隊を結成して金日成将軍への忠誠、日本における事変の完遂を旗印とし、非合法日共と協同闘争を展開していることは周知の通りである。廿五年十一月の神戸事件をはじめ、各地における騒乱事件の中心に常にこの「祖防」が動いていることが探知されている。彼らにしてみれば、祖国を防衛するための愛国行為だと考えるかも知れないが、日本国民にとっては迷惑な話である。

政府は差当り密入国の現行犯、極度の貧困者、登録法違反者、暴行行為犯などのうち強制送還を要するもの約一万二千五百、生活扶助者六万を含めて約七万とし、残りのものについては申請があれば日本永住を許可し、過去の日本人としての権利、利益も認める方針のようである。もちろん朝鮮における動乱が終息しない限り根本的な解決は不可能に近いが、このまま見送っていたのでは将来抜き難い問題になることが予見される。少くとも暴力行為者に対する措置については、早急に対策を樹てるべきであり、日韓交渉もなるべく早く再開されるように要望する。