みんな知っている韓国の独立門

本ブログの主旨は、普通の日本人が、どの様なネットの記事で右傾化していくのか、という分析である。そうすると、どうしても大半が既に知っている事を繰り返す事になってしまうので、ちょっと書きづらい。ただ、最終的には系統的な整理をしたいので、退屈であっても続ける事にする。

ソウル近郊の独立門が、日清戦争の結果として李氏朝鮮が清帝国からの支配から独立(1895年)した事を記念して1897年に建設された門であるという事は、すでに有名な話となっている。

そもそもソウルの独立門の由来が何であるか、という事自体は、歴史的にはそれ程重要な話ではない。これが有名になってしまうような日本の歴史教育の偏向ぶりが注目を浴びてしまうのである。

中国や日本共産党は、日清戦争ですら日本の侵略戦争であると言い張っている。だが日清戦争の戦争目的は、下関条約の条文を見れば明らかなように、朝鮮王朝の大清帝国からの独立にある。今日ではネットで氾濫しすぎている情報であるが、一応その条文を引用する。

第一條 清國ハ朝鮮國ノ完全無缼ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ清國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ

韓国はあたかも日韓合邦によって初めて独立が失なわれたかのように主張しているが、「独立門」が何を記念して建設されたかを考えれば、実は日清戦争以前の朝鮮は独立とは言えない状況であった事が分かる。

もちろん、日本が全くの善意で韓国を独立させてあげたというのは間違いだ。当時朝鮮では清の属国でいた方が良いとする勢力もあったから、彼らにしてみれば迷惑な話であった。

ただし、属国だったからといって、李氏朝鮮が清の一部であったという事ではなく、朝鮮が長く一つの国として存在していた事は確かである。

学校の歴史授業で朝鮮半島の歴史を教える時は、独立門の話題から入るのが良いのではないだろうか。