朝日新聞も使っていた『第三国人』とは?

戦後、占領下の日本においては法的地位の異なるグループが3つあった。日本人と連合国側の国民、そして日本が主権を放棄する事にした地域出身の人々である。最後のグループは第三国人と呼ばれるようになった。それ以外の外国人には特に名称はなく、単なる外国人だった。石原慎太郎が2000年に「第三国人」という用語を使った際、差別用語だとして批判される事があったが、実は長い間、朝日新聞も使用していた用語である。

占領下の日本では連合国人に日本の法律は適用されなかった(途中からは占領軍関係者以外は日本に裁判権が与えられた)。このため連合国兵士による横暴な行為も、おおむね連合国側の裁きに任せる他はない状態であった。朝鮮人たちはそれをうらやみ、あたかも連合国人であるかのように振る舞っていたのだが、日本国政府はあくまで彼らを第三国人として区別していた。

参考:朝日新聞『第三国人の取締強化 内相・法相ら所信を表明』1946年9月3日

当時、第三国人が話題になるのは、彼等による横暴な振舞いや犯罪行為であった。このため、第三国人という単語が単に便利な言葉というだけではなく、どこか否定的な意味を持つようになったのは自然な流れであっただろう。

第三国人という表現は日本が主権を回復した後も利用され続けるが、戦前・戦時から日本にいた朝鮮人に対しての利用に加え、朝鮮人・台湾人戦犯に対しての利用が主となっていく。

参考:朝日新聞『巣鴨の第三国人戦犯』昭和30年1月17日

1952年4月28日の日本の主権回復(=朝鮮、台湾の正式な放棄)により、朝鮮人・台湾人は日本人ではなくなった。このため、戦犯と言えども釈放すべきだ、という要求が高まったのだが、その前後に彼等朝鮮人・台湾人戦犯の事を第三国人と呼ぶようになったのだ。しかも、彼等への支援者も第三国人という用語を利用していた。

日本は講和条約第11条において東京裁判の判決を受諾したため、第三国人戦犯と言えども釈放するわけにはいかなかった。戦犯釈放問題については国会でも度々話題となっていたが、その際にも国会議員が第三国人戦犯、という表現を利用していた。

第三国人という用語は、一方で外国人犯罪者という意味で利用されるようにもなる。石原慎太郎の使い方は、これであろう。

沖縄がまだ米軍の施政下にある頃、在沖縄米軍基地で韓国人が訓練を受けているという事が問題になった事があった。1972年沖縄返還とともにそのような施設は閉鎖される事になるのだが、これらを追求していた共産党議員が使っていた用語も「第三国人」だったのだ。

そもそも「第三国人」とは、当事国以外の国民をさす言葉として戦前から利用されていた。これは当時の新聞記事を見れば分かる事である。それがある種差別的な響きを持つようになった理由は、戦後における朝鮮人の犯罪行為のためである。日本人の側に原因があるのではない。