第三国人というのは、戦後の一時期には在日朝鮮人の事を意味していた。特に新聞や国会などの公的な場で利用されていたが、一般人が朝鮮人の事を第三国人と呼んでいたかどうかは良く分からない。だから、当時の資料で第三国人とあっても、実際には朝鮮人という言葉が利用されていた可能性はある。
終戦後、食料問題に加え住宅不足は大きな問題であった。このため、家主と借家人の間での紛争が多発していたが、家主が借家人を追い出す際に口にした脅し文句が、『この家は第三国人に売る』である。
これは奇妙な脅しである。家主が誰であろうと、どっちみち追い出されるなら同じ事だから、理屈から言えば脅しにはならない。これが脅しになるというのは、第三国人、あるいは朝鮮人というのが、ヤクザと同義語だったという事だ。
当時は占領軍関係者に日本の裁判権は適用できなかったから、朝鮮人は戦勝国民だとの立場で傍若無人に振る舞ってきた。実際には朝鮮人は占領軍関係者ではなかったのだが、当時は本当の事を知らず、朝鮮人の脅迫に対して日本の行政・警察には頼れないと思いこんでいる日本人も少なくなかったはずだ。だから、当時、家主が朝鮮人を持ち出すのは、ヤクザ・暴力団を持ち出す事と同じだったのである。
実際に朝鮮人が関与した例も多かったようだ。すでに朝鮮人に売ったと嘘をつき、朝鮮人を雇って借家人を追い出す、というのが手口だった。
新聞記事によれば、役所に寄せられる相談が月に150件くらいあり、そのうち120件くらいが第三国人がらみだという。このため、司法次官から、第三国人であっても借地借家法の適用を受けると談話が発表された。
借家人の立退きは、そもそも家主も介さず朝鮮人が直接脅して追い出すケースもあった。都心の一等地になぜか在日朝鮮人韓国人が多く住んでいる場所があるが、おそらくこうした背景もあるのだろう。