ニカラグア内戦に学ぶ祖国防衛

下の写真は、ニカラグア内戦も終結間近なころのサンディニスタ人民軍に属する女性兵士の姿である。ニカラグア内戦は1979年の革命から始まった内戦で、サンディニスタ人民軍は、アメリカが支援していた反政府軍コントラと戦闘を続けていた。一見すると軍国主義調に見える写真だが、武器を持つ女性の姿は凛々しく、ニカラグアの革命を守った英雄たちである。

赤旗ニカラグア記事

この写真は、昭和61年11月23日付の赤旗新聞に掲載された記事の写真である。記事のタイトルは「アメリカは一歩も通さない たたかうニカラグア」である。

記事によれば、ニカラグアでは18歳から40歳までの男性全員に対する徴兵登録を実施し、女性予備軍の組織、訓練も進めていたとの事である。大東亜戦争で日本は祖国防衛のために戦争末期には総力戦となったが、それでも女性は兵士とはならなかった。大戦末期の日本以上に国を挙げて戦争していたのがニカラグアなのである。そして、それを日本で最も礼賛したのが日本共産党であった。

ニカラグア内戦は、アメリカの介入が露骨であったこともあり、当時の反米親ソ勢力にとってサンディニスタ政権を支持し、アメリカを非難する事は重要なテーマであった。日本共産党は赤旗で繰り返しニカラグアでの戦争を伝え、サンディニスタ支援を主張してきた。

アメリカの介入は冷戦終結でソ連が中米から手を引くまで続くが、コントラはニカラグア国民を支持を受ける事なく、サンディニスタ民族解放戦線との戦闘終結に応じ、1988年に和平が成立する。総力を挙げて闘ったニカラグア国民の勝利であった。

他国の介入を女性まで兵士にして退けたニカラグアは立派なもので、日本の左翼にとってサンディニスタ人民解放戦線というのは憧憬を感じる存在だ。しかし、一方で日本の左翼は、戦争に正しい戦争はなく、戦争すること自体が駄目だと論じている。アメリカなど西側諸国との戦争に武器をとることは正義で、それ以外は悪であるという不思議な発想はどこから来るのであろうか。

当時は、というより今でもそうだが、非武装中立を貫き、帝国主義の介入に対しては人民の力で祖国を防衛する、というのが左翼の理想であった。そして、ニカラグアはその理想の具体的なモデルであった。

しかし、非武装国家が侵略を受けた場合、ニカラグアのように泥沼の総力戦を覚悟しなければならない。女性兵士の活躍は美談かもしれないが、実際には女性が戦争に参加するというのは大きな悲劇である。

強力な正規軍が存在し、他国からの侵略を事前に防いでいる状況と、いざ侵略を受ければ女性まで戦争に参加しなればならない状況の、どちらが平和であると言えるか。戦争になった場合には正規軍が戦闘を行ない、国民は後方で支えるのが正しい祖国防衛だ。

日本の左翼は、「そもそも戦争が起きないように隣国と友好関係を築けばよいのだ」と言うが、それをニカラグアの例にあてはめれば、何を言っているのか明きらかである。つまり、ニカラグア国民は戦争回避のため、アメリカの望む政権を作ればよかったのだ。

もちろん、私はそうは思わない。サンディニスタ政権が正しかったとは言わないが、内戦を闘い、アメリカの介入から祖国の主権を守った姿勢は素晴らしいと思う。しかし、それは日本のモデルではない。日本は、正規軍の存在によって、戦わずして国家の主権を守るべきなのだ。

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