1989年、東欧革命の年であり、天安門事件の発生以降、日本共産党は厳しい立場にあり、選挙では公明党から揶揄されていた。その反撃として6月26日の赤旗新聞に掲載したのが以下の記事である。
公明党の竹入委員長が初訪中したのは七一年六月。そのさい訪中団歓迎会で竹入委員長は、次のように毛沢東を絶賛しました。
「偉大なる毛沢東主席の指導のもとに、偉大なる国家の建設を目の当たり見、また、清潔な環境と、活気あふれる中国人民の実情に接して、まことに深くいたく感銘を受けました。ここに心からの敬愛の序をささげるものであります」(「公明新聞」七一年六月二十日付)。
「マルクス・レーニン主義の上に毛沢東主義によって完成された中国の民衆は、喜んで働き、そして明るく建設の息吹きに燃えていた」(訪中座談会での竹入発言、「公明新聞」七一年七月十八日付)
創価学会が習近平来日を熱望するなど、公明党が中国共産党の人権弾圧を批判する事があり得ない事は明白なのだが、天敵の共産党が指摘するとなると、持っている情報量が違う。しかし「公明党は毛沢東を礼賛している」として出した証拠は1971年の出来事であり、天安門事件の1989年の事だ。その時期、当時の自民党や公明党が天安門事件に対して中国には大きな抗議をせず、日本共産党を攻撃する材料として使っただけであり、あっさりと天皇訪中を実現させてしまったのだ。
中国共産党のウイグル人弾圧は、自民党と公明党が過去数十年にわたって続けてきた媚中路線の結果である。公明党による毛沢東礼賛の歴史に言及する事は、そのまま自民党による親中政策の歴史を掘り返す事になるのである。たとえ二階俊博が引退しようが、中国共産党関係で皮肉の対象になる自民党議員はいくらでも見つかるし、薮蛇になるから自民党はこの件では黙っていた方が良いだろう。