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沈黙のチベット

今年はパンチェン・ラマが中国共産党に拉致されて25年目である。1995年5月14日、ダライ・ラマ法王が第11世パンチェン・ラマを認定した3日後の5月17日、支那政府はパンチェン・ラマを両親とともに拉致した。今年はその25年目にあたるが、日本ではニュースにならず、中共が現在の動向を発表したニュースがわずかに報じられただけである。

現代版アウシュビッツとも呼べる再教育キャンプの存在でウイグル人への弾圧についてはわずかながらにも報道されている。一方でチベット問題については、Radio Free Asia が情報提供しているものの、以前のようにチベット僧による焼身自殺という事もなく、注目を浴びる事はない。

チベットでは全ての住民を監視し追跡するシステムが完成されており、集団的な抵抗活動は不可能な状況だ。宗教活動もチベット語の使用も制限され、漢民族の流入とダライ・ラマ支持者への弾圧も続いているが、完璧な監視体制の中、一見するとチベット情勢は静かなままだ。

武漢コロナウイルスを契機として支那における住民監視・追跡体制は世界で最も優れたものとなった。中共にとって、チベット支配はもはや完成された段階であり、ウイグルの強制収容所もやがて不要になるだろう。中共による異民族支配はおそらく人類史上最も高度に完成されたシステムであり、この手法はあらゆる新支配地域に適用される事になる。

そして次は香港であり、国家安全維持法というたった一つの法律で民主化運動を沈黙させる事に成功した。中共がその先に狙っているものは台湾であり沖縄であり、究極的には日本民族の支配だ。

日本人とチベット人は遺伝子の面で近い関係にある。両方ともY染色体のハプログループDの割合が高いが、このタイプは日本列島やチベット高原など孤立した地域にわずかに見られるものである。おそらく数万年の歴史の中で他グループに駆逐された生き残りなのだろう。しかしチベット人という集団は中共の民族浄化策により、消え去りつつあるのである。

 

パンチェン・ラマ11世拉致事件から20年

以下は、ダライ・ラマ法王日本代表事務所のホームページからの転載。

ダライ・ラマ14世がゲンドゥン・チューキ・ニマ少年をパンチェン・ラマ11世として公式に認めたのは、1995年5月14日のことだった。その日からすでに7年以上が経過している。少年は、認定発表の日から何日もたたない5月17日、両親とともに姿を消した。中国の警察に拘引されたといわれている。

イギリスはAIIB参加で中国の軍門に降ったかと思ったが、BBCニュースではパンチェン・ラマ11世の事を伝えている。対して日本のメディアは沈黙だ。朝日も産経も、時事通信などの配信記事を右から左に(左から右と言うべきか?)に流しているだけなので、時事通信が伝えなければ、何も伝えないのだ。今年は戦後70年という表現ばかりが出てくるが、パンチェンラマ11世失踪から20年目の節目に沈黙していたのは変ではないか。

パンチェン・ラマというのは、簡単に言うとチベット仏教にとってダライ・ラマに次ぐ地位であり、次のダライ・ラマを認定する立場にある。そして現在、20年前に失踪したパンチェン・ラマ11世の他に、中国共産党が選んだパンチェン・ラマ11世が存在する。後者の名前はギェンツェン・ノルブ。その違いをBBCは以下のように要約している。

ゲンドゥン・チューキ・ニマ

  • ダライ・ラマによって1995年5月14日にパンチェン・ラマ11世と認定された
  • その3日後に中国当局によって拘束された
  • 中国は「分離主義者による誘拐から守るため」彼に関する情報、所在などをほとんど公開していない
  • 外国人との面会は禁止されており、中国によると、彼は学校に行き、中国で普通の生活をしている
  • 中国によると、彼の両親は政府に雇用され、彼の兄弟姉妹は大学にいるか、働いている。

ギェンツェン・ノルブ

  • 6歳の時、北京政府によりパンチェン・ラマの生れ変りとして選ばれる
  • 中国共産党員の息子である
  • 幼少のころは北京で過し、仏教を学ぶためチベットに戻った
  • 清朝が1792年に強制するようになった方法、金の壺からくじを引いて決定する方法(金瓶掣籤)で選ばれた
  • 中国本土以外では、2012年4月に香港で1000人以上の僧を前に登場したのが最初である

チベットは1950年、中国共産党に軍事征服されてしまい、ダライ・ラマ14世は1959年にインドへの亡命を余儀無くされた。中国は清王朝時代の関係を根拠に、チベットを中国の領土と主張しているが、現地の報道がないため状況が掴めない。二階俊博は真っ先にチベットに訪問すべきではなかったのか。

チベット仏教の伝統「転生ラマ」を否定する第14代ダライ・ラマの苦悩と絶望

9月になっても日本では朝日新聞ネタが続いていたが、9月9日に各紙が報じたダライ・ラマ14世の輪廻転生制度発言は、まさに驚愕的な内容であった。各紙の記事によれば、ダライ・ラマ14世はドイツ紙とのインタビューでチベット仏教の伝統である輪廻転生による後継者選びを廃止すべきだと語ったという。

チベット仏教においては、高僧は過去の高僧の生まれ変わり、化身である。最高位にある法王も同じであり、ダライ・ラマ15世は、現在の14世の死後、生れ変るはずなのである。輪廻転生はチベット仏教の根幹をなす思想であり、最高指導者の後継者として自らの生まれ変わりではなく、別な方法で選ぶという発想は、チベット仏教の教義自体を危機に陥れるようなものだ。

ダライ・ラマ14世がこのような見解をインタビューで述べた背景には、自身の死後に生まれ変わりを中国共産党が勝手に選定してしまう、という可能性が高いからだ。現在、ダライ・ラマに次ぐ地位のパンチェン・ラマ11世は、実は中国共産党が探し出した人物である。中共は漢民族に都合の良い人物をチベット仏教界に送りこみ、チベットの完全掌握を目指しているのである。そういった状況の中で、ダライ・ラマ14世が他界した場合、中共はチベット支配に都合の良い人物を後継者として認定し、チベット亡命政権の息の根を止める事になるだろう。

ダライ・ラマ14世が、輪廻転生制度を廃止すると発言したのは、チベット国家が中国の侵略によって消滅してしまうという強い危機感からだ。チベットは危機的な状況だ。国家の存続のために、民族の存続のために、伝統を変えざるを得ないのだ。ダライ・ラマの苦悩と絶望が伝わってくるニュースである。

中国と対峙する日本は、チベット問題に対しても、台湾問題にしても正義を主張できないつらい立場にある。最近では国益のためにウクライナの悲劇にも目を背けている状況だ。しかし国家としての立場は別として、弾圧された人々の苦悩を思い遣るような声がメディアに登場しないのは変だろう。

チベットは昔から中国の領土だったわけではない。中共が侵略し、主権を奪った大地なのだ。現在、チベットでは漢民族の入植により漢民族が多数派となってしまい、チベットの文化や伝統が破壊されている。遠い国の話だが、日本も他人事ではない。現在、在日と呼ばれる存在は朝鮮人・韓国人よりも支那人が不気味な勢力となっている。

日本が民族の存亡のために天皇の存在を消さざるを得なくなる・・・。そんな時代が未来に到来しないとは限らない。日中友好などと言うが、少しでも気を抜くと中国というのは日本にとって長期的な脅威なのである。

チベットの中国吸収を許してはならないが、それでも今日の状況はチベット仏教に伝統破壊という代償を払わなければならいないほど深刻な状況なのである。

となり町戦争~支那に侵略されたチベット

今年8月15日、チベットのラサとラサ西方に位置するシガツェとを結ぶ全長253kmの鉄道が正式に開業した。この路線はヒマラヤ山脈の北麓を東西に結ぶものであるが、中国の鉄道開発のスピードを考えると、ひょっとしたら地形的な困難を克服してそのままパキスタンのイスラマバードまで行ってしまうのでは、というような勢いである。

チベットは清王朝の冊封体制下にあったとは言え、独自の文化を持ち、民族を形成する一国家である。常に歴代支那王朝の属国だった朝鮮半島に比べれば、はるかに独立性の高い国家であった。

一方で第二次世界大戦後、国民党との戦争に勝利した中国共産党は1949年になってチベットへの侵略を本格化させた。1950年にはチベット進駐を中華人民共和国が宣言。1951年には中国軍がラサに侵攻して17カ条協定を押しつけ、チベットは中国の支配下に置かれる事になった。

この間、チベット側は中共の軍隊と戦ったが、戦力の差は大きく、中国人民解放軍の侵略を阻止しる事は出来なかった。1959年にダライ・ラマはチベット臨時政府の発足を宣言した後、インドに亡命した。

当時の日本は朝鮮戦争という大動乱に直面する一方、主権回復に向けた講和条約問題が最大の関心事であり、支那大陸奥地の出来事に口を挟む余裕は全くなかった。国際社会も同様であり、朝鮮半島の緊迫やインドシナ戦争など激動の中にあって、チベットでの出来事は傍観するより他になかった。

よく、大東亜戦争が世界の植民地解放を促した、という主張がある。しかし、それはチベットには当てはまらない。日本が英国を東南アジアから追放した結果、インドは独立し、英国は中共によるチベット侵略を見ても、何も行動できなかった。チベットは独立を失ない、中共に併合されてしまった。

支那事変以降、チベットは日本と蒋介石・毛沢東との戦争に対して中立を保った。この国が日本の敗北によって中共に侵略されたのだ。日本がアジア諸国に謝罪しなければならないとすれば、それはチベットであろう。

さて、仏教が自然に在来神道を結びついてきた日本にとって、ダライ・ラマの存在はローマ法王よりもずっと身近な存在である。一方、安倍首相はローマ法王に2015年の来日を要請したそうだ。国内での政治ショーに利用するつもりであろうが、安倍首相はダライ・ラマにこそ会うべきであろう。