朝鮮人の生活保護率が日本人の10倍だった理由

昭和31年、どうして朝鮮人の生活保護が14万人、率にして日本人の10倍以上になったのだろうか。今日も朝日新聞1956年4月26日の記事を紹介するが、理由が書かれている。朝鮮人・韓国人の脅しに、日本の役所が屈服していたのが原因であった。

集団的圧力で甘い査定

デタラメ受給のふえた一番大きな理由は、関係省庁がひところの朝鮮人の集団圧力に屈して、ろくろく調べもせず甘い査定をし、それがそのまま持ち越されたためといわれる。大阪ではさる27年、そのころあった”民戦”(在日朝鮮人人民戦線)の指導で生活保護費の受給によって、再軍備予算を減らそうと、各区役所や福祉事務所に50人から100人の朝鮮人が連日押しかけ、座りこみや職員をおどすなど数十件の検挙騒ぎを起こした。このため28年には受給者が前年に比べ一挙に41%も増えたという。

都下の調布市でも28年夏ごろ当時の町役場や地方事務所へやはり約五、六十人が押しかけ、一度に五、六十世帯の申請を出して、うちかなりの者が受給に成功している。

また福祉主事が身の危険を感じて調査できなかった(岡山)。ケースワーカーの帰宅を待ちぶせたり、家をとりまいておどすので子供がおびえて困った(青森)。何かあると県庁や市の福祉事務所に押しかけ、課長や所長をつるし上げたり、カン詰めにして生活保護を要求した(静岡)。無記名の脅迫文書を、福祉事務所へ何回も投げ込んだり、汚物を牛乳ビンに入れて事務所に投げ込んだ(群馬)。朝鮮人学校の生徒が多数やってきて、先生への保護費支給を要求した(山形市)といった例はザラだ。

朝鮮人の多くは、集団で生活していて団結力が強く、明らかにウソと分ってもお互いにかばいあうので、日本人の場合のように隣近所での聞き込みができず、収入や資産を的確につかめないことも影響しているようだ。空地に豚がたくさんいるので調べたが、その所有者についてはだれも黙秘権をつかってしゃべらないため、みすみす所有者と分りながら保護せざるをえなかった(兵庫)例もある。

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記事によれば、当時朝鮮人の組織であった「民戦」が、日本の国家予算を朝鮮人に対する生活保護に振りむける事により、自衛隊の予算を減らそうと画策していたようだ。今日でも支給されている在日朝鮮人・韓国人に対する生活保護も同じ意図を持っていると理解すべきであろう。すなわち、朝鮮人や韓国人を豊かにするために日本の国家財政を疲弊させ、我が国の国力を削ごうとする、政治活動なのである。