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【LGBT】「お父さん、お母さん」が禁止される日

男女別となっている職業名を中性の名称に変更されていったのは、今ではもう昔の話だ。日本では平成の初期にはスチュワーデスという呼称がキャビン・アテンダントと変更された。職業における男女差別を無くするというのが理由で、英語圏では〜manという形式の職業名が次々に置き換えられた。日本の場合は〜婦という名称だ。

最近では男女平等の観点ではなく、トランスジェンダー配慮の観点から性差を示す表現が攻撃の対象となっている。主要な職業名詞は概ね置き換えられているため、最近のWoke達の主張は日常用語が標的である。

英国のマンチェスター大学はLGBTに配慮した用語のガイドラインを公表しており、「男」や「女」ではなく「人」、「父」や「母」ではなく「親」、「妻」や「夫」ではなく「パートナー」など、男性か女性かを区別する用語を徹底して置き換える内容だ。

アメリカでもニューヨークの私立学校(グレースチャーチ学校)で同様のガイドラインを示しており、「お父さん、お母さん(mom and dad)」の代わりに「両親(folks)」を使用するよう指示している。

現在、オーストラリアのメルボルンにある学校は、LGBT活動家達から同様の行動を要求されている。つまり、「お父さん、お母さん(mom and dad)」の代わりに「両親(parent)」を使用せよ、というものだ。当然、「ボーイフレンド」や「ガールフレンド」もだめで、「パートナー」と呼ばなければならない。

ちなみに、これらを伝えるニュースでは、LBGTではなく、LGBTQI+となっている。Iはインターセックスという男でも女でも無いという意味であるが、QはQueerという良く分からない名称のもので、どうやら変態という意味らしい。

最近ではLGBTの主張に反対したら差別主義者扱いされる異常な環境にあるが、これらの動きは止まらない。まだ「mom and dad」を禁止するところまで行っていないからだ。子供が「お母さん」と呼ぶような教育をする親が糾弾されるような社会になるまで、LGBTの主張は止まる事はないのだ。

神々の多様性を認める事が多文化共生の大前提だ

その昔、グローバリズムに対抗するため地域主義が登場した。マクドナルドや英語、ハリウッド映画など世界的に影響力を拡大するアメリカ文化への警戒心も作用している。

日本でグローバリゼーションに反対していたのは伝統を重んじる右翼ではなく、日本共産党などの左翼だ。米の輸入自由化には、日本人の原風景である農村の稲作文化を守る事を理由に反対していた。保守層ではなく、左翼が、である。

多国籍企業がもたらす画一的な文化に対抗して、地産地消などのローカルを重視した考えが左翼の間で広まった。世界的な資本主義システムの適用ではなく、少数言語の保護や少数民族の経済システムの維持なども主張されるようになった。

一方、ヨーロッパでは「文明の衝突」論に対抗するようにイスラム社会との共存が主張されるようになり、多文化共生という概念が主としてキリスト教社会におけるイスラム教社会の受容という主張に変質することになる。

もちろん、多文化共生を主張する人達の論理だと、イスラム教だけを優遇する概念ではないと主張するだろう。最近ではLGBTまで概念として含めているからだ。しかし歴史的な流れから言えば、911のイスラムテロやイスラム教徒の大量移民などを背景に左翼によって形成されてきた概念である事は間違いない。

ヨーロッパでイスラム教の受容が比較的容易なのは、そもそもキリスト教もイスラム教を唯一の神を信仰しているからだ。詳細に差はあるが、根源の考え方は創造主であり絶対神の存在を前提としている点は共通している。すなわち、「多様性」と言いながら実は共通のルールが存在しているのである。

日本でも、最近では左翼だけではくごく普通に多文化共生と言われるようになった。しかし日本における「多文化共生」とは左翼イデオロギーであり、在日朝鮮人の思想である。つまり多文化共生の名のもとでコリアンの地位を高め、相対的に日本を貶めようとするものである。

さて、左翼の意図はともかくとして多文化共生には重要な前提条件がある。それは、多様性を認めるには、共通の価値観が必要であるという点だ。これについては、例えば白人至上主義者が共生の対象になり得ないとう点を指摘すれば十分であろう。つまり多文化共生の実現のためには、共通の価値観のもとで「多」の範囲を制限する必要があるのだ。

日本において、異文化を許容できる範囲は、「神々の多様性」を認める事ができるか、という点が一つの尺度となる。唯一神の信仰は、我々が信仰する神の否定であるからだ。これは欧米が創造主の存在という共通項でイスラム教社会とかろうじて共存できるという点とは対照的である。

もちろん、共通の価値観には民主主義や公平・信義を重んじる態度、平等主義など様々なものがあるが、キリスト教やイスラム教の考えは根本の所で日本の価値観とは相容れないものである。したがって、信仰の自由という観点では共存できるが、彼等が「神々の多様性」を認めぬ限り多文化共生の対象とはならないのである。

【LGBT】女だと主張すれば男でも女性専用車両に乗車可能な時代

Los Angeles Timesによると、カリフォルニア州では、今年に入り261人の男性受刑者が、トランスジェンダーを理由に女性刑務所への移動を希望し、ほとんどが認められたと言う。

これは、2021年1月から「性別は本人の申告によって特定する」と定めたLGBT関連の法律(正確にはトランスジェンダー対象)が施行されたためである。

心は女性なのに体が男性だから男性刑務所に収容されていた囚人なのか、それとも女性として生まれたが、心が男性である囚人なのか、あるいは女性から生物学的に性転換した男性なのかは、不明だ。

記事から推察すると、「生物学的には男性だがホルモン投与中の性転換者」はその中にいるようである。一方で「男性の体で性転換治療の履歴もないが自分は女性だと主張する人」が含まれているかどうかは分からない。しかし261名の希望者のうち、6名は認められなかったというから、虚偽の申請が含まれていたのだろう。

女性受刑者からは、偽のトランスジェンダーが来るのでは、という不安の声もある。イギリスでは女性刑務所に服務していた自称女性の男性が、女性受刑者を多数レイプして、結局男性刑務所に送られたという事件も発生している。本人がいくら自分のアイデンティティは女性であると主張しても、体が男性のままでは女性が不安になるのは当然だ。

バイデン政権が成立して、LGBTの権利拡大が「生物学的な違いではなく、本人の申告によって性別を決める」という過激な方向へ進んでいる。

例えば、自称女性の男性が、女性用ロッカールームや着替え室の使用する事が可能となるため、特に学校での扱いを巡って問題となっている。

また、以前から顕著であった、男から女に性転換したスポーツ選手が大会の上位を独占する、という問題もある。これはスポーツの成績で進学を決める際に、生物学的な女性が不利な立場に置かれるという事であり、実際にそれでトランスジェンダーに進学枠を取られた女性もいた。

もはやLGBTに対する偏見を止めよ、という時代ではなく、性別は生物学的な性ではなく本人の意思で決定すべき、という思想を押し付ける時代なのである。

日本ではまだ差別反対という程度の状況であるが、実際にはLGBT運動が目指す所は上記の思想である。この考えがアメリカのように法定化されると、同じように女性専用施設の扱いが課題となる。

鉄道の女性専用車両に、自分は女性であると主張する男性が強行乗車し、社会問題となるだろう。始めは実際のトランスジェンダーの仕業ではなく、LGBT関連の法律に反対する者達が問題提起として実行する。しかしやがては女と主張する男が普通に女性専用車両に乗車する事になるだろう。

その他にもスポーツジムの更衣室、マッサージ、トイレ、共同浴場など課題は噴出する事になり、LGBT法を基にした多くの訴訟が起こされると予想される。そしてスポーツの世界にも自称女性の男性アスリートが参加し、本物の女性が高校や大学などの推薦入学の機会を奪われる事になるだろう。